アスコウの公立学校では、ほぼ1か月ごとにテーマを決めて、授業をしていた。5年生の5月は新聞づくり、6月はバイキング時代がテーマだった。バイキングの物語やまんがを読んだり、アニメ映画を観たり、木を彫ってスプーンをつくり、たき火で料理をしてそれを木のスプーンで食べたりした。最後は、バイキング博物館のあるデンマーク最古の町、リーベに社会見学に行った。博物館見学のあとはまったくの自由行動で、子どもたちは町中歩きまわってお菓子を買っていたそうだが、リーベは石畳と古い町並みが保存され、町全体が中世の博物館のようなところだから、それはそれで意味があったのではないか、と思う。
1年生の6月は、水がテーマで、水道のしくみや水の循環、水の詩など水に関するプリントばかり持ち帰ってきた。近くの小川に水中の生き物を取りに行ったり、水あそびのおもちゃをつくったり。算数のプリントも、「魚を何びきすくったでしょう」といった調子で、あくまで水にこだわっていた。やはり最後は海辺に出かけて、水あそびをしたり、海の生き物を観察したりした。 日本の小学校とちがって、教科ごとに担当の先生がいるのだが(複数の教科を持つ先生もいる)、それにしては教科の枠にあまりとらわれていないようだった。
教科書は、県の学校専用図書館から借りていた。紙質の悪い、古ぼけた本が多かった。 いっぽう、日本大使館からは、日本の教科書が送られてきたが、こちらは上質紙に写真がふんだんに使われている。さし絵も美しい。しかも、新品が、ひとりひとりにもらえる。日本はすごい、さすがにお金がある!と思ったが、教科書は、1年経つと、いらなくなる。でも、きれいだから捨てる気にはなれない。ところが、毎年内容が変わるわけではないので、きょうだいがいると、同じものがたまってしまう。これは税金のむだづかいをしているのではないか、と思えてくる。先生を増やしてクラスの定員を減らすとか、施設を充実するとか、もっと別のところにお金を使ったほうがよいような気がする。
話をデンマークにもどそう。教科書や教材は、それぞれ先生が選ぶ。生徒によって、ちがうものを使うこともある。教科書をほとんど使わない先生もいる。日本に比べて、教科書が持つ重みは少ない。 本からの知識よりも体験を重視する教え方、ものごとをまるごと味わおうという態度には、グロントヴィの思想の影響があるように感じた。「まず体験せよ。しかるのちに啓蒙を」というのが初期のフォルケホイスコーレの合言葉だったそうだ。
7年生まで試験をせず、成績もつけないというのも、フォルケホイスコーレの影響だろう。まちがえることにびくびくしない、成績で人を判断しないというのは、子どもにとって大切なことだと思う。もっとも、年に2度、個人面談があって、学校でのようすや、学習のすすみ具合を聞くので、先生が子どもをどう見ているかはわかる。
学校は夏至の日の前日まで。
夏至の日の夜には、どの町でも大きなたき火をする。積み上げられたまきのてっぺんには魔女の人形。中世の魔女裁判のなごりだろう。まきに火をつけると、めらめらと魔女が燃える。けっこう生々しくて、目をそむけたくなる。
デンマークは緯度がそれほど高くなく、白夜にはならないが、それでもたき火の終わる11時すぎまではまだ明るい。この日は小さな子どもたちも、夜中までおきている。 夏休みは8月初めまで続く。夏休みが終わると、新しい学年がはじまる。
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