デンマークには2年3ヶ月暮らした。
その間に、アスコウから首都コペンハーゲンへ、さらにシェラン島北部の小さな町ガンルーセへと、移り住んだ。子どもたちは2年間に3つの公立学校に行ったことになる。友だちができたところで別れなければならないので、毎度胸の痛む思いをした。けれども、幸いどの学校でも気持ちよく受け入れてもらって、楽しい体験をすることができたようだ。
3つの学校で、それぞれ保護者会、個人面談、クラスの親睦会、学芸会、遠足や林間学校などがあり、なかなか大変だったのだが、その分デンマークの親の考え方やその地域差、先生の考え方にふれる機会も多かったわけで、私にとってはよい経験だったと思う。
ことばの問題や、文化のちがいなど、先生に特別に相談することもよくあった。そのなかで共通して感じた事がいくつかある。
一つは、親や子どもがなにか意見をいうと、それを受けとめ、真剣に考えてくれる、ということ。少なくとも、意見をいったために前より事態が悪くなった、ということはなかった。ことに、「本人が望んでいる」ということばが切り札になるということは、印象的だった。
それから、子どもになにかを教え込むのではなく、子どもが自ら学ぶのを助けることが、教師の仕事だ、という認識。決まったことはやるけれど、学校でほとんどしゃべらないわが家の子どもたちについて、「表現してくれないと、なにを考えているか、どうサポートすればよいかわからない。いやなこと、つまらないことや、なにかやりたいことがあったらいってください」と、何人の先生からいわれたことだろう。
また、子どもたちが、学校で充実した時を過ごすこと、たのしい気持ちでいること、自分にとって意味のあることを学んでいると感じていることが、とても大切だ、という考え方。「人生でいちばん大切な時期に、1日のいちばんよい時間を学校で過ごすのだから、学校はたのしくなくては」という言葉も、何度も聞いた。
地域のちがいや先生の個性のちがいを超えて、どの先生にもこの「子どもが主体」という認識があることに、強い印象をうけた。
そして、これは先生たちの受けてきた教育に鍵があるのではないか、と感じていた。
そこに、教育関係の仕事をしている友人から「公立学校の教師養成学校(4年制。日本の教育大学にあたる)を見てみませんか」とさそわれたので、そのチャンスにとびついた。
今回と次回で、そのときのようすを紹介したいと思う。
教師養成学校からもらった時間割りにはこうあった。
- 10時10分から12時まで1年生の数学(基礎科目)の授業に参加
- 12時から1時まで教師養成学校についての説明を聞きながら昼食
- 1時から3時まで3年生の宗教(専門科目)の授業に参加
- 3時から4時20分まで3年生の英語(専門科目)の授業に参加
1年生の数学は、平均値や統計などのまとめ。それから、ワークショップとして、封筒を折って三角すいをつくり、辺を2倍にしたら体積はどうなるか、といったことをやった。学生同士で説明しあう。手馴れた感じで、じょうずな説明だった。このときは学年末だったので彼らはすでに1か月の実習をすませていた。だからだろうか。
学生の一人が教科書を貸してくれたので、見ると、最初のところに「いちばん大切なことは、生徒が、数学は自分にとって役に立つと感じることだ」と書かれている。どの章を開けても、その章で取り扱っていることが、実際の生活にどう役に立つか、具体的な例を使って子どもたちに理解させるよう書いてあった。
たとえば、計算の章では「スーパーのレジの人が計算をまちがえたとき、そのまちがいに気づくことができれば損をしないよ」、割合の章なら「300クローナの3割引と250クローナの2割引、どっちが安いかな」などといった例が書いてある。
そして、「子どもたちの生活から遊離した一人よがりの例にならないよう、ふだんから子どもたちの生活をよく知っておくように」という注意書きもある。
最後のページには、手書きで書き込んで枠でかこみ、「重要」マークをつけた文があった。
「子どもの人生を決定する責任を持っているのは子ども自身だ。だから、教師は『〜しなさい』といってはいけない。教師の役割は、子どもが『〜したい』ことを見つけるのを待ち、助けることだ」
教師になろうというはじめにこうしたことをしっかり教えられるのだな、と思った。
※ 雑誌にはこのほかにデンマークの地図を載せました。このページでは、 ここをクリックして 地図をご覧下さい。
ご意見、ご感想は、io@itoh.orgまでお願いします。