私がフォルケホイスコーレで授業を受けている間、下の娘は保育園へ、 上の二人は地元の公立学校へ通うことになった。ふつうは8月の時点で7歳の子どもが1年生になるので、10月生まれで8歳の娘は1年生、7月生まれで11歳の息子は5年生のクラスに入った(親の希望で就学を1年早めたり、遅くしたりすることもできる)。
娘のクラスは25人、息子のクラスは16人だった。法律的には1クラス28人までとなっているが、デンマーク人の感覚では20人前後が限界、25人は多すぎる、という。
入学から卒業までクラス替えはない。担任は国語(デンマーク語)の先生。算数の先生が副担任となる。娘のクラスには、もう1人、補助の先生がついていた。
ことばもまったくわからないので、だいじょうぶかと心配したが、2人ともすんなり受け入れてもらえたようだった。
「休み時間がともかくたのしい」という。1年生のあそびはおにごっこに缶けり、ゴムとびになわとび、石けりと、なつかしいものが多かった。じゃんけんもあったし、雨の日には「おちゃらか」のように手をたたき合う遊びをしていた。5年生は、サッカーとバスケットボールをやっていた。
息子は、小さいときは絵が好きだったのだが、日本で小学校へ上がったとたんに「ぼくは絵がへただ」といって、絵を描こうとしなくなった。その彼が、学校で描いた絵を私に見せて、「これは海にも見えるし、空にも見えるし、太陽が昇っているようにも見えるし…」と説明してくれたときは、うれしかった。
「日本では絵を描いていると先生がやってきて『こっちの色にしたほうがいい』とかいって、そのとおりにすると、こんどは『さっきの方がよかった』とかいわれていらいらしたけど、こっちではなにもいわれないからいい」という。
あとで美術の時間を見学したところ、先生はほんとうになにもいわずに、ただ見ている。子どもになにか聞かれたときだけ、答えているようだ。子どもたちは、絵を描いたり、ちぎり絵をしたり、それぞれ好きなことをしていた。粘土細工をする子もいる。ろくろをまわす子もいる。よい作品を作ったり、なんらかの技能を向上させるというのではなく、2時間たっぷり自分の表現をたのしむ時となっていた。
体育でも同じようなことを感じた。低学年の体育は「あそび」だ。いろいろな種類のおにごっこや、ボールあそびをする。それも、体育の時間の前になにをやりたいか子どもたちで話し合って決めてしまうことが多かったそうだ。
5年生は、市の体育館でバスケットボールやバドミントンなどをやったり、外でサッカーをやったり。驚いたのは、みんなが同じ種目をやるのでなく、それぞれやりたいことを選んで自由なかたちでたのしむということだ。鉄棒やとび箱、かけっこなどの個人の能力の優劣を競うようなことはやらない。障害があったり、運動が苦手な子どもでも、友だちといっしょにたのしくからだを動かせるようになっていた。
水泳も、市のプールに行って、2時間自由に泳いだりあそんだりするということだった。泳げない子は浮きをつける。ボールや、いろいろな形や大きさの浮き板も使える。飛び込み台から飛び込む子もいる。
子どもたちは「日本の水泳の時間は、みんなでいっせいにプールに入って、『ここまで泳ぐ』と決められて泳いだり、『何級』とかあっていやだったけど、こっちは好きなことができるからたのしい」という。
先生は「泳げる子も、泳げない子もいるけれど、みんな水が大好きです。それがなにより大切なこと。好きならそのうち泳げるようになります。きらいになったら一生泳ごうとしなくなる」という。ああ、これだな、と思った。
デンマークはオリンピックではめだたないが、日常的にスポーツをたのしむ人の数は、とても多い。子どもから老人まで、各年齢層の人が参加するスポーツクラブがどんな田舎町にもある。
運動が苦手で、体育の授業によい思い出のない私にとって「スポーツ」といえばテレビで見るものだ。自分でやるとなると、ちょっと腰がひけてしまう。でも、ほんとうはだれにとってもからだを動かすことは気持ちのよいことのはずだ。
子どものときに、じょうず・へたにかかわらず、からだを動かす楽しさや、人と協力するよろこびを経験した人は、一生その人なりにスポーツをたのしむようになるのだろうと、うらやましく感じた。
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