「正しいとか間違っているとか語ることが、なにか非外交的であったり、無作法なのではないかと心配する人がいる。しかし、私はそうは思わない。異なる状況では異なる方法が必要となるのであって、異なる道義が必要なのではない。」
目標を求める途上で、我々がまずしなくてはならないことは、我々がよって立つものが何なのかを明らかにすることだ。 合衆国は自由と正義を守らなければならない。なぜなら、これらの原理はあらゆる地域のすべての人にとって 正しく、また、真実であるからだ。いかなる国家もこのような望みを我が物とすることはできず、また、こうした望みから免除される国家もない。 どんな社会においても、父や母は自分の子どもたちが教育を受け、貧困や暴力から解き放 たれて生きることを望んでいる。この地球上には、抑圧されることを望んだり、隷属することを求めたり、 真夜中に秘密警察がノックすることを熱心に待ち望むなどという人はいない。
アメリカは、人間の尊厳という妥協の余地のない要求のために、確固として闘わねばならない。 それは、次のようなものである。 法の支配、国家の絶対的権力の制限、言論の自由、信仰の自由、公平な裁判、女性への敬意、 宗教や民族への寛容、私有財産の尊重。
これらの要求には、様々な方法で応じることができる。アメリカの憲法は十分に役立ってきた。 異なる歴史と文化をもち、異なる状況に臨んでいる他の多くの国々でも、こうした核となる原則を、それぞ れの統治機構に組み込むことに成功している。国民の権利や願いを無視したり侮辱したりした国家に対して は、歴史は甘くなかった。
偉大な多民族民主主義国家としてのアメリカの経験は、多様な文化的遺産や信仰を持つ人々が平和的に共生し 繁栄することができるという我々の信念を肯定する。我々自身の歴史は、我々の理想に従って生きるための、長年 にわたる闘いである。しかし、最も困難な時代においても、独立宣言が抱く原則がそこにあり、われわれ を導いてくれた。その結果、アメリカはたんにより強くなっただけではなく、より自由でより公正な 社会となった。
今日、これらの理想は、孤独な自由の守護者にとっての命綱となっている。 そして、いざというときには、われわれは変革を推し進める― 1989年から1991年にかけて中欧及び東欧で、 あるいは2000年にベオグラードで我々が行ったように。 台湾や韓国の友人たちの間に民主化のプロセスが定着するのを見るとき、また、ラテンアメリカやアフリカ で、選挙で選ばれた指導者たちが軍人たちににとって変わるのを見るとき、我々は、 各地域の歴史や伝統と、我々すべてが大切にしている原則とを結合させることで、いかにして権威主義的制度を 発展的に解消することができるかという実例を見ているのだ。
過去から得られる教訓を生かし、今日我々が有する機会を利用するために、合衆国の国家安全保障戦略は、 これらの核となる信念から始め、自由を拡大していく可能性を求めて、外に目を向けなくてはならない。
国際協力、対外援助の性格、資源の配分といったことについての政府の意思決定は、 我々の原則から導かれるであろう。 また、国際機関における我々の行動や発言もそこから導かれるであろう。
われわれは以下のことを行う
われわれは、人間の尊厳という大義を擁護し、これに敵対するものに対抗する。