パンケーキの国で 〜子供たちと見たデンマーク〜 ◆ 20

グルントヴィ

先生と生徒、対等の立場で対話

東京新聞:1998年10月20日掲載

N.F.S.グルントヴィ

生徒から「これをやろうよ」という言葉が出るのを待って、それを受けとめる先生。 自分の言葉で意見を言うことが大切にされること。 友だちの意見に耳を傾ける子どもたち。 何かができなくても、それで優劣をつけるのではなく、個性の違いとしてとらえる見かた。 学校の経営に、親たちや子どもたちが積極的にかかわること。 自分の住む地域や方言に対する愛情と誇り・・・ デンマークでそうしたことを体験するたびに、ある名前を思い浮かべずにはいられなかった。

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N.F.S. グルントヴィ(1783〜1872)。 アンデルセンと同時代の人だ。 彼は、150年前、生まれたばかりの民主主義を形だけのものに終わらせないためには、一般の民衆が、それぞれ個人として自立し、意見を自由に発言し、社会に主体的に参加するようになることが大切だと考えた。

ラテン語教育を受けた少数のエリートが大多数の農民を支配し、社会を牛耳っていた時代。グルントヴィは、知識人から「きたない」「馬の言葉」とばかにされていたデンマーク語、民衆の日常の言葉は、母から子へと代々受け継がれてきた豊かで美しい言葉であり、神の真理はその中に生きていると説き、デンマークの風土や自然、農民の生活などを題材にしたデンマーク語の詩を次々に作った。 人々はその詩に節をつけて歌った。デンマーク語しか話せない農民たちは、こうした歌にどんなに力づけられたことだろう。 今でも、いろいろな集まりでグルントヴィの歌がよく歌われるし、教会で歌われる讃美歌にも、彼のものが多い。

そして、彼は、先生と生徒、生徒同士が日常の言葉で自由に話し合い、たがいに影響を与えあいながら、それぞれ自分自身の「生」の意味に目覚めていく、あらゆる人に開かれた学校を考えた。 先生は、生徒と対等の立場に立って、生徒から出された質問を受けとめ、答え、対話を続けていく。 それまでの学校では、先生が上の立場から一方的に生徒に知識を流し込み、機械的に暗記させ、試験を繰り返していた。 グルントヴィの学校では、試験はしない。試験というのは、借り物の知識を暗記できているかどうかの確認にすぎないからだ。 職業教育もしない。 まず、一人ひとり違う個人として完成されることが必要だ、という。

キリスト教とともに、北欧神話や民間伝承、デンマークの歴史が重要な科目とされた。 人は、歴史や風土と関係なく、今ここにいるのではない。 自分の前に生きた人たちの生き方や感じ方を知り、愛することは、自分自身の根を理解し、受け入れることにつながる。 学ぶ、といっても、本を読んで知識を詰めこむのではなく、歌を歌ったり、先生や他の生徒と対話をし、実際の体験を通して学んでいくのだ。

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彼の思想に共鳴した人たちが、各地に作ったのが、フォルケホイスコーレ(民衆大学)だ。 おもに農村の若者たちが集まり、数ヶ月間共同生活をし、対話を通して学んでいった。 19世紀末には、フォルケホイスコーレは、70校以上を数え、若者の10人に1人がここで学んだという。 彼らが地域社会の中心となり、生活協同組合や、世界で初めての生産者協同組合を組織していった。 組合では、地位や財産にかかわりなく一人一票制がとられ、自由な討論がかわされた。 農民たちは政党を結成し、1901年には政権をとるまでになる。 デンマークに民主主義が確かに根づいていったのだ。

伊藤美好(いとう みよし)

※ 東京新聞の了解を得て、インターネットに公開しています。

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