下の娘はコペンハーゲンの学校で1年生になった。 アスコウで幼稚園クラスに入ったときは、初めの日に体育館でコーヒーを飲み、ケーキを食べて親子でくつろいだ。 それから子供たちは教室へ行って少し遊び、親の方は校長先生の案内で校内を見学した。 なんとも家庭的な雰囲気だなあと思った。
コペンハーゲンの学校での第1日目は、いかにも「入学式」という感じだった。 親子で体育館に集まる。校長先生が短い歓迎のあいさつをする。2年生が歌を歌うのを聞く。 カメラやビデオを手にした親たち。 ちょっと日本と似ていると思った。 時間は短かったし、親子ともに普段着というところは違ったが。
1年生の最初の保護者会の前に、学校の説明会というのがあった。 体育館に行くと、テーブルを前にして10人ほどの人がこちらを向いてずらりと並んでいた。 上着を脱いで腕まくりした校長先生がマイクを持つ。 「こんにちは。みなさんのお子さんは、学校での生活を始めました。 学校ではいろいろなことを経験します。 トラブルや、問題が起こることもあります。 そんな時、問題解決のためにみなさんを助けてくれる人たちをご紹介します」
校医、歯科医、心理学カウンセラー。 それぞれ診察室や、カウンセリングの部屋が校内にある。 「気になることがあったら、すぐに相談してくださいね。 早くに問題を見つけられれば、解決も早いのです」
真ん中にどーんと座っていたのは、学校運営委員会の親たちだった。 「クラスで問題が起きたとき。 子供同士のトラブル。 先生とのこと。学校に疑問があるとき。 なにかやりたい、変えたいと思うとき。 一人で悩まないで、いつでも気軽に声をかけてください。 私たちと一緒に考えていきましょう」
それから交通指導員。「ここは、交通量の多い道路が周りにあります。 特に危険な交差点には、毎朝指導員が立っています。 安全についての知識も教えていきます。 問題を感じたら、指摘してください」
「プロブレム」「プロブレム」という言葉が何度も使われる。 上の子供たちが日本で小学校に入学したときに、こんな話を聞いただろうか、と思った。 どうも聞かなかったような気がする。 これから新しい生活が始まろうとするときに、意気阻喪させるような言葉は禁物、というのが日本人の感覚だろう。
けれど、実際には、問題は起こる。 さまざまな親の下で育ってきた一人ひとり違う子供たちが、家庭と違う環境の中で毎日長時間一緒に過ごすのだから、トラブルが起こるのは当然だ。 また、それぞれの子供が育っていく過程で、彼らは数々の「困ったこと」や問題を外に出してくる。 そのときに、「問題があってはならない」「問題があることを人に知られたら恥だ」という意識でいると、大変な窮地に陥ってしまう。
問題が起こることが問題なのではない。 問題を明るみに出すことができなかったり、解決に向けて話し合う場がなかったりすることが問題なのだ。 何か問題が起きたとき、それを押さえ込んでしまうと、表面的には問題が消えたようにみえても、問題は深刻化し、形を変え、時を経てまた姿を現す。 そして、その解決はさらに困難になる。
最初に「だれにだって問題は起こるんだよ。 なにかあったら一緒に考えようよ」という呼びかけがあると、実際に問題に直面したときに、自分を追い込んで苦しむ人が減るのではないか、と思う。
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