私の子どもたちが行ったコペンハーゲンの学校では、授業の終わるころ、いつも門のところにタクシーが何台か止まっていた。学校から出てくる子どもたちが運転手さんに手を振る。運転手さんの方も、にこにこと子どもたちに声をかける。「タクシーの運転手さんの子どもが多いのかな。仕事中に子どものお迎えに来るとは、のんびりしてるな」と思いながら、その光景を眺めていた。ある朝、学校に着いた時、ちょうどタクシーといっしょになった。運転手さんがトランクからひょいと車いすを取り出す。座席に座っている子どもを抱っこして車いすにのせて、「じゃあね」と手を振って別れる。その次にきたタクシーの運転手さんも、座席の子どもを車いすに乗せて別れていった。そう、これは、障害を持った子どもをタクシーで送迎する行政サービスだったのだ。聞くと、毎日同じ運転手さんが送り迎えをするのだそうだ。だから、他の子たちとも仲良くなるし、まるでほんとうのお父さんのような雰囲気になるのだろう。
この学校には、階段はあるし、教室に入るところにも段差があり、車いす向きとはいえないのだが、必要な時は先生や周りの子どもが手を貸していた。障害を持った子どもには、先生が特別につく。このあと、コペンハーゲンの北西30キロのところにあるガンルーセという小さな町に引っ越したのだが、そこの学校では、下の娘が「いつも先生といっしょの子がいるよ」と言っていた。この子にも何らかの障害があったのかもしれない。
障害を持った子どもとその親が普通学級で学ぶことを希望すれば、問題なく受け入れられる。送迎や、特別につく先生の費用は、行政側の負担だ。
障害の種類や、子どもの状態によっては、障害児教育を受けられる特別なクラスや学校を親が希望する場合もある。また、「家庭で育てたい」という親もいる。どういう形を選ぶこともできるし、それぞれに補助がある。家庭で育てるために親が仕事をやめた場合は、それに対する補助金も出る。一時期障害児学校へ行ってから普通学級に変わることも、その逆も、自由にできるという。
日本では、障害を持った子どもは、障害児学校や障害児学級に振り分けられてしまい、普通学級で学ぶことがなかなか認められない場合が多い、と聞いた。また、いったん障害児学校に入ってしまうと、途中から普通学級に変わることはまずできないそうだ。
しかし、障害を持った子どもは社会から隔絶されて過ごすより、障害を持たない子どもと関わりながら育つ方が自然なのではないだろうか。
さらに、障害を持っていない子どもにしてみれば、障害を持った子どもと一緒に学ぶことで得るものはとても多いと思う。
コペンハーゲンの学校の機関紙に、5年u組のニクラス君がアトランタのパラリンピックのホッケー種目に出場した体験記を書いている。彼は筋萎縮症で、車いすでホッケーをする。こんな友達がクラスにいたら、楽しいだろうと思う。
デンマークにいる間、大きなベビーカーを押した母親がバスから降りる時や、車いすの人が電車に乗ってきたとき、周りにいる若者が当然のように助けるのを何度となく見た。小さい時から、障害のある人が身近にいる生活をしてきているからこそ できることではないか、と感じた。
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