幼稚園クラスの授業を見ていて、気づいたことがある。 「選ぶ」場面が多いのだ。 たとえば、部屋の中で静かにする時間に、「迷路」をするか、「間違い探し」をするか、絵を描くか、選んで、好きなことをする。 みんなで共同作業をするときも、「〜したい人は?」と先生が問い、やりたいところに参加する。 人数の調整はしない。
2年生では、音楽や体育の時間に何をやるか、授業の始まる前に子供たちで話し合って決めてしまうという。 高学年になるほど、授業の内容に生徒がかかわる部分が多くなる。自分が何をどのように学びたいのか、それはなぜなのか、言い表すところから授業が始まる。言葉の不自由な私の子供たちには大変なことだったろうと思う。
「自分にとって意義のある事を学んでいると本人は感じていますか」 「学校でやりたいことがあったらどんどん言うように伝えてください」 先生との面談で、何度もこうしたことを言われた。本人たちは十分楽しんでいたのだけれど、表現が足りなかったようだ。 自分が参加して授業を作っているという意識もなかったのだろう。
授業だけでなく、学校の環境全体にも、生徒はかかわっている。 まず、生徒会。 アスコウの学校では3年生以上、その後転校したコペンハーゲンの学校では1年生以上のクラスから代表が出る。 各クラス2人。 「学校のことで自分たちに関係することはなんでも」話し合われる。 学校祭に何をするか、林間学校でどこに行きたいか、ドアを直してほしい、売店のお菓子の種類を増やそう、休み時間をもっと長くして....
ここで話し合ったことは学校運営委員会へ提出される。 学校運営委員会というのは、学校の最高審議機関だ。中心となるのは親の中から選ばれる5人ないしは7人の代表(任期4年)で、そこに教職員から2人(任期1年)、生徒から2人が加わる。校長はオブザーバーとして出席する。 林間学校や学校祭などの学校行事、授業の時間配分、学校の財政、教育方針などについて、話し合い、決めていく。 教職員の雇用の承認もする。 ここで、子供たちの代表も対等に意見を述べることができるのだ。
自分の考えを主張し、討議し、それによって自分の身の回りを変えていく経験を、子供たちは日々していることになる。自分を取り巻く環境に対して、積極的にかかわる。受け身ではない。これが、自分に対して責任を持つ、ということに通じるのではないか。
「デンマークの学校はのんびりしすぎていて、子供たちはたいした知識を得られない」という批判をする人も多いが、「知識は少なくても、話し合いをしながら問題を解決していく力は確実に身につく」 「子供たちは学校で民主主義を経験する」という声はさらに強い。
デンマークの学校で一番重視されるのが、この「民主主義」ということだ。 その基本は話し合い―――違う意見を互いに聞き合うこと。 それがなくては、何も始まらない。 学校生活の最初に経験するのが「耳を澄ます」ことだったわけが、ここにあるのだ。
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