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「陣内知美さんの死を忘れない追悼集会」へのご案内
「陣内知美さんの死を忘れない追悼集会」へのご案内
陣内知美さんの死を忘れない追悼集会実行委員会
佐田正信(さたまさのぶ)1995年7月17日午後近畿大学付属女子高等学校(現 近大付属福岡高校)の2年1組の教室で陣内知美さん(当時16歳)が、そのクラスの副担任宮本教諭によって殴り殺されました。
その後あろうことか、事件の被害者知美さん本人や家族についての誹謗中傷が行なわれ知美さんの死体に死後も鞭が打たれたという事件の概要については藤井誠二(ふじいせいじ)さんの「暴力の学校・倒錯の街」に記載されている通りです。
あれからかれこれ5年経ちました。
私たちは事件当初から「彼女に対する根も葉もないデマや嘘までついての署名集めや誹謗中傷」に大変心を痛め、また「彼女の死を絶対忘れずに寧ろ彼女の死を活かす為に動いていきたい」という思いで、とにかく年に一度、事件の現場飯塚市で「陣内知美さんの死を忘れない追悼集会」を細々とやってきました。それまでは追悼集会を年に一度だけやるために集まっていたのですが、1998年6月の福岡県立鞍手(くらて)高校での体罰事件発覚をきっかけに、「今現に学校に通っている若者たちの命や人権を守っていこう」という具体的な動きが始まり、以来十数件の学校現場での生徒に対しての人権侵害の抗議や刑事告発と情報公開条例により事故報告書を開示させていくことなどの動きをしてきました。
その動きの中から体罰などの人権侵害情報駆け込み窓口としての“体罰“ホットラインを設置して今日まで進んできました。(活動をはじめて二年になりますが多少は学校教育現場へのくさびにはなっているようです。)
その頃から、追悼集会の中身も「知美さんの死を悼む」という視点から「悼みそれを活かしていこう」という視点に広がっていきました。
まず、「彼女の死をとかく日々の暮しに流されて忘れてしまいそうになる私たち一人一人の身に年に一遍だけでも刻みなおすこと。」
そして、「彼女の死を活かすためにという思いからやっている”体罰“ホットラインの活動報告。」
さらに今年は、“現場教員からの発言”「私は何故生徒を殴ったか、そして何故殴らなくなったか」というテーマで、飯塚市立鯰田(なまずた)小学校教諭の牛島耕介(うしじまこうすけ)さんにお話を頂きます。
そして、会場との討論のあと約十分かけて事件の現場近畿大学女子高校まで歩いていきます。
その後近くの喫茶店で交流会をやります。(詳しくは一緒にお送りするチラシをご覧下さい)
また、毎年集会前には、近畿女子高の前で集会の案内チラシを、現役生徒さんたちに配ります。読まずに捨てる子もいるのですがせめて年に一度は思い出して欲しいものです。
今年は、7月6日木曜日午前7時からやります。もしよかったらどうぞ・・・
また私たちは三ヶ月に一度、欠かさず定例会をもって自分たちの足元でやっている活動の交流や集会の準備をやっています。メンバーは今のところ10名です。もし私たちの活動の主旨に賛成いただけるならば色々な形で一緒にやっていただけると幸いです。
さて、毎年毎年この季節になるとこの集会の準備を進めていくわけですが、今年の集会に関しては今までとは少し違った感慨を持っております。実は、今年の二月に「教員による対生徒暴力(体罰)を告発する全国市民ネットワーク」が誕生しました。この5年間実に多くの全国で同じ思いをもって動いていらっしゃる方と出会いました。その方たちとの相互交流が図りたくて全国ネットを立ち上げたわけです。全国ネットの活動はホームページによる交流、年に一度の全国交流集会(今年は2月5日に飯塚でやりました。来年は神戸でやる予定です。)そんなことに向けて今準備をすすめているところです。そんな新しい動きが皆さんの前でご報告できることは大変嬉しいことです。
知美さんは今確かに生きていると実感しています。
起こったことは大変理不尽で不幸でとんでもないことだけれど、その後の動きの中で、「確実に知美さんは生きていると言える」と実感できるところまで本当にやっとやっと進めてこれました。これからも絶対に気をゆるめることなく少しずつ駒を進めていきたいと思っています。
私には夢があります。
日本の、いや国の内外を問わず、すべての若者が、いや若者だけでなく、老若男女、いや人間だけでなく、生きとし生けるものが、その存在を尊重しあい安心感を持って生きていける時代が来ることを。そんなことを考えながらこの集会の準備をすすめているところです。
今年は、近畿大学女子高校の隣の飯塚高校で、いじめ自殺の為98年12月26日にこの世を去った古賀さんの写真と、彼が日々ノートに書き残した言葉を書にしたものを、会場に飾るべく準備しています。あわせてお知らせいたします。佐田正信