WHO IS YUJI キャンペーン勉強会「有事法案を読む」をリニューアルした 神楽坂会議「有事法制を知って話しあおう」第1回を、9月14日(土) にやりました。
場所は神楽坂。
ゲスト・スタッフも含めて22名が参加しました。
会場が18畳のお座敷だった(といっても料亭ではなくて、区民センター でしたけど)ので、ちょうどいい人数だったかな〜という感じでした。ゲストは、朝日新聞社会部編集委員(当時)の外岡秀俊さん。
「有事法制とメディア」
○9・11以降の世界がどうなっているか
○日米安保の歴史的な成り立ちと密約の問題
(なぜ有事法制が出てきたか)という二つの柱をたて、一つのテーマで40分程度外岡さんが話をしては 質問と討論、という2部構成の会になりました。
1時半から5時まで、ぎっちりと話しました。「9・11以降の世界」のほうでは、まずアメリカの国内事情の話。
なぜアメリカはイラク攻撃をあせるか、ということで、ブッシュは中間選挙に 勝つことが使命という話(選挙の年はイスラエルが強く出る)から、9・11 でアメリカの戦略がどう変わったか(「核抑止力理論」から「小型核の先制使用も 辞さない」へ)。
それから、対テロ戦争とアフガン内戦という二つの戦争が(米政府はおそらく 意識的に、日本側はおそらく気づかずに)混同されているという話。「安保の歴史的な成り立ちと密約の問題」は、駆け足で日米安保体制の50年を ふりかえるという感じでした(この話は『日米同盟半世紀』という本に書いてあり ます。この本、おもしろいです)。
占領後の日米交渉はつねにアメリカのシナリオに沿ったもので、日米の利害の対立 する部分は、表向きはアメリカが譲歩したように見せて、実は密約でアメリカの 要求を通したものになっていた。
そのなかで天皇がけっこう重要な役割を果たしていたかもしれない(どの程度力 を持っていたかはわからないけど)、というのが「天皇―マッカーサー会見手記」 (今年8月5日の朝日新聞朝刊参照)で見えたようです。アメリカは海に囲まれた海洋国家で、海の向こう岸に覇権国家を作らないということが 第二次大戦後のアメリカにとって大切だった、という話が、私にはおもしろかった。
アメリカを中心において考えると、第二次大戦のときは、右側ではナチスが第3帝国を作り、 左側では日本が大東亜共栄圏を作っていて、両側から脅かされているという感じだったのか〜 と、急に絵が見えてきて(いつもアメリカが右端の地図で考えてるから、そういう絵が頭に うかばなかった。7月の勉強会で北極を中心にした地図を見たときも、あらあらアメリカと ロシアはお隣りさんなんだとあらためて気づいたけど)。
で、そういう目で考えると、沖縄に基地があって、核を配備できることの、アメリカにとって の重要性が、すごくリアルに感じられました。
沖縄からならアジア全体(アメリカの左手)を見渡せる。沖縄に基地を置けないと、 前線がハワイまで後退してしまうことになって、それじゃ不安なわけです。マッカーサーは、沖縄の基地を自由に使えるならそれで十分で、日本本土は武装解除 していたほうが安心と考えてたようです。沖縄に軍隊を置いておけば、日本がアメリカを また攻撃しようとしたときに抑えることができる(直前まで戦争していた相手ですものね)。 けっして平和主義者だったわけじゃない。
天皇は、沖縄を切り離して米軍政下におくことには大賛成だったけど、米軍によって日本を 防護することを希望したのでした。外岡さんは、沖縄の人から「今まで9条を守れ、基地をなくせ、と言ってきたけれど、9条が あるから米軍基地があるのじゃないか」と言われてショックを受けたそうです。
でも、歴史的に見ればたしかにそうだと。安保と9条が一体となって戦後日本を支えてきたと いうことは事実として認めざるをえないとも。討論タイムでは、やはりメディアの姿勢に意見が集中しました。
スタッフ側が作った資料には去年の10月6−9、12、30日の朝日新聞の社説を載せた ので「限定ならやむを得ない」という10・9の社説や、10・30日テロ特措法成立に 関する社説についても、意見や質問が。
「テロ」「誤爆」という言葉の使い方についての疑問、認識を共有するシステムはないのか といった問いも出ました。
外岡さんからは、いろいろと衝撃的な発言が飛び出しました。護憲派の問題点とか、アルジャジーラの評価についてとか、新聞以外にどんなところから 情報をとったかとか、ほんとにいろんな話題や意見がでました。
時間の制約があって、今一つ深めるところまではいかなかったのがちょっと残念。そのあとの飲み会でも、熱〜いやりとりがありました。
いらしてくださったみなさん、ありがとう。
by いとうみよし
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