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特別なニーズを持った子どもと家族

特別なニーズを持った子ども(障害児)と家族―フレッコイさんとのお話から

伊藤 美好

 1999年11月27日、28日に、一橋大学で「子どもの権利に関する国際シンポジウム」が開かれました。
世界各国から子どもの権利に関する専門家が集まり、発表・討論がなされました。
ノルウェーから参加されたのは、マルグリッド・グルード・フレッコイさん。
児童心理学者で、81年から89年まで、世界で最初の子どものためのオンブズマンを務めた方です。
27日の夜に交流会があったのですが、その時に、DCI障害児セクションの加賀谷さんとフレッコイさんと三人でお話する機会がありました。

 フレッコイさんは、デンマークのオーフスで勉強を始め(2年間)、そのあとコペンハーゲン大学で心理学を1年勉強され、それからノルウェーに戻って勉強を続けられたということでした。オーフスでは、障害児のいる場で実習をされたそうでした。
 その最初の実習の時に、障害児は、存在するだけで、他の、いわゆる「ふつうの」子どもにできないことができる、ということを知った、という話をされました。
 それは、障害児と接する人の内から、それまでの生活では決して外に現れることのなかった喜びや、共感や、思いやりや、勇気を引き出し、その人を成長させてくれる力を持っているということでした。

 フレッコイさんのお話を続けます。

 障害児を持つということは、とても大変な、つらいことで、親たちは、打ちひしがれ、消耗し、深い悲しみに打ちのめされます。そのことで立ちあがれなくなる人たちも多いし、また、離婚する夫婦も多いのです。
 けれども、障害児とともに暮らすなかで、子どもから勇気を引き出され、その子がいなかったら味わうことのなかったような喜びを与えられ、親たちの中でなにかが花開きます。
 とはいっても、親たちの悲しみはいちどで去るものではなく、何度も、何度も繰り返し繰り返し襲ってきます。それには終わりがありません。
 周りのこどもたちが歩き始め、しゃべり始め、学校に行き、スポーツを楽しみ、仕事につき、結婚をする、そのたびに、親たちは打ちのめされるのです。けれどもまた、そのたびに内から咲き出るものがある・・子どもが引き出してくれるものがあるのです。
 そうして、親が子どもといっしょに大きく成長していくのです。
 自分が今まで会った親たちのうちでも、障害児の親たちは、勇気と大きな力を持った、もっとも印象深い人たちです。そのように成長する力を、子どもから与えられたのです。

 私がもっとも感動した人物は、三歳の、下肢が麻痺している女の子。彼女は、箱のようなものに入っていました。ある時、彼女は、人の力を借りずに隣の部屋に行きたい、と思いました。そして、箱をがたがたゆすって、移動を始めたのです。
「わたしはいきたいの!」
それはとても危険なことでした。前につんのめったら、彼女は顔面を床に打ちつけてしまう。だけど、彼女は箱をがたがたゆすりながら動きました。
「わたしはいきたいの!」
そして、ドアの所まできました。そこには、敷居がありました。どうやって乗り越えるの?
下手をすると、後ろに倒れて、後頭部を打ってしまう。力余れば、前に倒れる。どちらにしても、とっても危険。手を貸したほうがいいかしら?
「わたしはいきたいの!」・・・とうとう、彼女は敷居を無事に乗り越えました。やりとげたのです!彼女自身がやりたい、と強く思ったから。私は、彼女に勇気付けられました。

 ノルウェーでは、障害児も、補助する教員がついて、普通学級で学びます。目の見えない子どもたちだけは、特別の教育を受けます。ダウン症の子どもたちは、美術や音楽や体育などの身体を使うものは、他の子どもと一緒に受け、国語や算数は、特別の授業を受けます。
 普通学級で、他の子どもと一緒に学ぶのには、問題点もあります。
 全ての子どもが、障害児に親切というわけにはいかないのです。時には、普通学級にいることで、孤立させられてしまうこともあります。そうすると、特別学級にいるときよりも、孤独で、他の人とコミュニケートできないことになってしまいます。
 逆に、なんでも他の子と同じように取り扱われることで、「他の子と違う自分」がわからないという場合もあります。みんなとは違う、でも僕は僕なんだ、ダウン症の僕、そのままの僕が、僕なんだ("I'm ME!")、 というアイデンティティを持てなくなる場合があるのです。

 また、ノルウェーは、広い国土に少ない人口が散らばっているので、障害児も、こちらにひとり、あちらにひとり、というぐあいに点在していて、先生がみつからない、という問題もあります。そこで、訓練センターを作って、先生と親と子どもが2、3週間泊まり込んで訓練を受ける、というようなシステムも作りました。
 今、実験的に始めているのは、遠隔医療システムの応用で、ケーブルテレビを使って、都会の専門家と、いなかの学校を結んで、子どもが自分の地域に留まったまま、ケアを受けられるようなシステム作りです。これは、オーストラリアで、人里離れた所に住む子たちの教育援助として始められたものなんですよ。

 ノルウェーでは、政府からの物質的な援助はかなり整備されていますが、メンタルな問題は最後まで残ります。

 今、問題になっているのは、障害児の兄弟の問題です。
 障害児の兄弟は、まだ幼いうちから、「もしお父さんとお母さんがいなくなったら、僕が(私が)〇〇ちゃんのことをみてあげなくちゃいけない」と思うようになります。
 「結婚相手にわかってもらえるだろうか」などという悩みもあります。
 兄弟が国のケアを受けて離れて暮らしていても、「〇〇ちゃんを私がみなくていいのだろうか」「〇〇ちゃんは大丈夫だろうか」と、ずっと負い目を感じることになります。

 そこで、親の自助グループだけでなくて、兄弟同士の自助グループも、作られるようになってきています。同じ立場の子どもたちが、自分の悩みを話し合うことが、とても大きな助けになっています。

加賀谷さんは、
 子どもが生まれる前は、自分は障害児だからといって差別なんてしない、自分には差別意識はない、と思っていました。
 ところが、自分の子どもに障害があるとわかったとき、そのことをすぐには受け入れる事ができなかったのです。そこで、それまで自分の子どもが障害を持つなんてことはありえないと思いこんでいたことに気づきました。そして、自分の内にある差別意識と向き合わざるを得なくなったのです。
 でも、子どものアイデンティティをまるごと受け入れることで、私の価値観が転換しました。この子がいることによって、問題は自分の方にあるということに気づかされ、価値観の転換をすることができたのです。家族みんなが、この子のおかげで変わることができたのです。この子がいるから、みんながよく話し合うようになったし、彼がいるおかげでほんとうにうちの家族は幸せだと感じています。
 子どもの方は変わらないし、変わる必要もない。変わらなくてはならないのは、私たちのものの見方だったのです。障害を持った子どもは、まわりの人を変えていく、大きな力を持っていると思います。
と言われ、

 これに対し、フレッコイさんは、
 そうなのよ、それが私の言いたいことなのよ。
 障害を持った子どもは、私たちのものの見方を変えてくれる、価値観を転換させてくれる力を持っているのよ。変わらなくてはならないのは、子どもではなくて、私たちの方なのよ。あなたは、彼を、他の子ととりかえたいなんて、思わないでしょ
とおっしゃいました。
 加賀谷さんは、「決して」と、首を強く横に振りました。
また、加賀谷さんは、
 13歳のお姉ちゃんが、弟のことは私が面倒見る、というけれど、私は彼女には彼女自身の人生を楽しんで欲しいと思っているんです。
 そして、そのためにも、もっと国が制度を整えるように運動しなくてはいけないと思っています。
ともおっしゃいました。

 それに対して、フレッコイさんは、
 お母さんがお姉さんの人生を大切にしてあげたいと望んでいるのは、素晴らしいことだと思うけれど、親がいくらそう思っても、子どもはやはり兄弟のことを気にかけてしまうのよ。だから、そこをどうするか考えないと・・
と答えていらっしゃいました。

 フレッコイさんは、
「『子どもの権利条約』の核心は、世界の、社会の、大人の、子どもに対する見方/態度attitudeを変えることです」、というようにおっしゃっています。それは、まさにこういったことを言うのだろう、と思いました。

 障害を持った子どもを、ありのままでまるごと受け入れるように、価値観を転換させることができれば、私たちはその他の子どもたちをも、ありのままで受け入れることができるようになるのではないでしょうか。そして、そのことで、私たちは、私たち自身のことも、ありのままで受け入れることができるように変わることができるのだろうと思います。

 これは、去年、日本で講演された国連子どもの権利委員のジュディス・カープさんが
 「教育において、もっとも良い政策は『インクルージョン(inclusion)』です。インクルージョンというのは、普通の教育制度の中で、さまざまな子どものすべてのニーズに答えていくということです。
その取り組みの基本となるのは、障害児に関するインクルージョンの原則です。それは、障害児を障害児のための学校に送り込むのではなくて、そのまま普通の学校制度の中で受け入れていくということです。
それには、社会自体が、どんな人もそのままで普通の人として受け入れるように変わらなくてはなりません。私たちは、子どもの違いや多様性を(障害もその多様性の一つです)人生のなかで当たり前の事実として、そのまま受け入れなくてはならないのです。」

さらに日本の大人へのメッセージとして、
「子どもの権利条約を、子どもを社会に参加するものとして実現することは、日本の社会をよりよいものにするための処方箋です。
ひとりひとりの人間の尊厳を尊重するように、態度を変えていくことは、子どもたちだけでなく、社会のすべてのメンバーにとって重要なのです」とおっしゃったことと、ぴったり重なり合うことだと感じました。





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