小 黒 利 佳
【目次】まえがき
「自分の目で見てみたい」
プライエム(特別養護老人ホーム)での実習
デイセンター
ホームヘルプ
日本の私たちはどうすべきだろう
あとがき
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<なぜ、デンマークへ>
デンマーク留学の話は、突然舞い込んできた。高校時代の私は大学進学をめざしており、
「福祉系の学部に進学し、福祉関係の仕事がしたい」そんなふうに、漠然としか考えてい
なかった。高校時代にボランティア活動をしていたわけでもなく、日本の福祉について考
えたこともなかった。デンマークが福祉国家であることも、当時の私は知らなかった。
大学受験が近づいてきた時、以前(当時は妹が)お世話になったピアノの先生が、「福祉 の道に進むなら、いつかデンマークに行ってみると良いよ。見方や、考え方が変わるから」 と言い、千葉忠夫氏(日欧文化交流学院校長)の話をしてくれた。その話を聞いたときは、 「いつか行ってみたい」という夢でしかなく、本当に行けるとは思ってもいなかった。デン マーク行きの道は、大学不合格という皮肉な結果から開かれたといえる。
学歴社会の日本で、周囲の友達が皆大学に進学するなかで、デンマークに行くのは良いこ となのか、正直言って迷った。留学ということに、単純な憧れはあった。しかし、「大学に 行けないからデンマークに行く、逃げるんだ」と思われるのではないかという気持ちもあった。 両親は、「一浪して、行きたい大学に入れるかわからない。本当に行く気持ちがあるなら、今 しかない」と、勧めてくれた。デンマークの福祉について書かれた本を読むごとに、デンマー クにひかれた。
決心した私は、日本のことを少しでも知るためにボランティア活動をしたり、アルバイトをしたり して過ごした。ボランティア活動は、なにも知らなかった私にとって、とても勉強になった。
<デンマークへ出発>
1995年1月4日、期待と不安を胸に日本を発った。まず私が入ったのは、千葉忠夫氏が校長をする、
Bogense folkehojskole(日本名:日欧文化交流学院)。千葉氏は、約30年前に単身デンマークに
渡り、デンマークの福祉を学ばれた。数年前より短期間の研修生を受け入れたり、日本で講演さ
れたりしている。ノーマライゼーションの父、バンク・ミケルセンを記念するバンク・ミケルセン
財団の創立者である。そのBogense folkehojskoleが、1994年10月入学の学生を一期生として、
4ヶ月を1タームとする長期学生の受け入れを始めた。私はその二期生として入学した。
当時の私の目標は、デンマークの専門学校に入ることだった。初めのうちは、語学さえマスターすれば 入学が可能だろうと言われていたが、制度面のさまざまな事情でそれが困難になった。そんな中、 せめて実習だけはさせてもらいたいと思い、その願いがかなった。
デンマーク語を身につけるために、いくつかのfolkehojskole(国民高等学校、民衆大学などと訳されて いる、全寮制の学校)に通い、約一年後、実習をスタートした。
これを読み、世界一の福祉国家といわれるデンマークでの体験を共有していただけたらと思う。
デンマークは、高齢者福祉の先進国で知られている。そのことは、本等でも紹介されている。しかし、私は、実際に自分の目で見、体験し、日本とデンマークではいったい何が違うのかを知りたいと思い、2年間デンマークに留学した。 約1年間は、語学(デンマーク語)の取得の傍ら見学や説明を聞きに行った。施設を見て、ただ責任者の説明を聞くだけでは、漠然としていて、いったいどんな一日が送られているのか見えてこない。私は、実際に自分で現場に入り、見てみたいと思い、ある程度語学力をつけた後、ミゼルファート市で、実習という形を始めた。
まず最初の4ヶ月は、プライエムという、日本でいえば特別養護老人ホームにあたるところで実習した。46床(全室個室)のその施設は、大きく2つ、小さく4つのグループに分かれていたが、私が配属されたのは、その4つのうちの1つ、痴呆グループだった。15人の入居者に対し、5人の職員が配属されている。
入居者は皆、一人の職員をコンタクトパーソンとして持っている。コンタクトパーソンとは、その人の担当責任者といえるだろう。職員一人が平均3人のコンタクトパーソンになっている。出勤者は毎日3、4人なので、自分の担当者プラスアルファーで平均5人を受け持つ。私も、平均3人を受け持っていた。
職員は、その日受け持った入居者に関してはすべてを担当する。勤務時間が午前7時から午後1時または3時なので、一日は起床介助から始まる。
入居者の中には、半介助を必要とする人、全介助を必要とする人がいる。また、早く起きたい人、ゆっくり起きたい人がいる。それらを考慮して担当配分がされているわけである。
「おはよう!」と起こし、トイレ介助をし、パジャマから、日常着に着替えさせる。もし、その日が入浴日であれば、各自の部屋にあるシャワーで浴びさせる。浴槽につかる習慣は無く、朝にシャワーを浴びるのがデンマーク人の標準的な生活パターンである。
身支度が終わると、朝食だ。自分の部屋で食べる人もいれば、食堂で食べる人もいる。バイキング方式になっていて、パンやシリアル類、オートミール、コーヒー、ジュース等好きなものを飲み食いできる。
痴呆グループの入居者は、各グループにあるサンルームでスタッフとともに食べる人が多かった。 朝食の時間は、職員も一段落。私はいつもこの時間をサンルームで過ごしていたが、とてもゆっくり、おしゃべりをしたりしながら、リラックスした雰囲気で朝食をとる。 痴呆グループに限り、職員も一緒にパンを食べたり、コーヒーを飲んだりする。時には、所長や、掃除係の職員が来て、一緒にコーヒーを飲み、団欒に加わった。
夜勤者が忙しく、起床、朝食を担当する日本と違い、朝のゆとりがあるためか、一日中パジャマのままという人はいない。 朝、きちんと着替えるということは、生活に張りを与える重要なことだと思う。"パジャマ=寝る"ことだと思う。寝たきりを作らないためにも、朝、パジャマから着替えさせることはとても重要なことなのではないだろうか。
誰に会う、どこに行くわけではなくても、パジャマのままで良いという考えはデンマーク人の中にはない。みんなアクセサリーをつけたりして、とてもおしゃれに身支度をしていた。 日本のように、全員を着替えさせるのは物理的に不可能ということはない。
ところで、勤務時間が朝7時からであるということには、いろいろ利点があると思う。 9時から5時までという勤務体制に慣れてしまっている日本人は、そんなに朝早くから仕事するなんて…と思うかもしれないが、午後3時には帰れるので、帰宅後の時間を有効に使えるのだ。 一日を仕事だけに費やすのではなく、きちんと自分の時間も持ちたいというデンマーク人たちは、この勤務体制を気に入っている。 私も初めのうちは抵抗があったが、この勤務時間はとてもよいと思う。
ある日本の施設でこの話をしたら、もしその時間で求人を出したら、きっと人が集まらないだろうと言われた。 今はそうかもしれない。その時間帯で働ける環境が整っていない。しかし、私は、老人ホーム等の入居者、職員両者のためにも、見習う価値はあると思う。
朝食が終わると、デイセンター(療法)に通う人は、併設するデイセンターに行く。このとき入居者を連れていくのも、その日の担当職員だ。
デイセンターに行くのは希望者のみで、入居者全体の四分の一から三分の一、外部からも毎日15人程度来る(私は、そこでも2ヶ月実習させてもらった)。
デイセンターに行かない人は、サンルームにいたり、自分の部屋で新聞を読んだり、テレビを見たりしている。
その間職員は、自分がコンタクトパーソンになっている入居者の部屋を掃除したり、サンルームにいる入居者と共に座り、徘徊する人に目を配ったり、コールに応じたりしている。 天気がよい暖かい日には、一緒に建物の周りを一周といったような散歩に出掛けることもある。 ある日、痴呆のおじいさんが、朝から落ち着きが無く、ふらふらと徘徊していた。機嫌も悪く、暴力的であった。しかし、ほんの10分ほど一緒に外へ散歩に行ったら、彼はおだやかになった。 徘徊する人には、やはりその人なりの理由がある。ただ「どこへいくの。だめよ、ここにじっとしていなさい」などと、その人の行動を止めるのではなく、一緒に付き合ってあげられる余裕に感心した。
足がまだ丈夫で、若き日に活動的であった人にじっとしていろと言うのは酷な話だ。しかし、もしその人が一人で出掛けてしまったら、帰り道が分からないので大変なことになってしまう。
施設の正面玄関は、中からも自動ドアになっていた。ただドアの前に立っただけで開いてしまうわけだ。
施設はあくまで生活の場であって、収容所ではないのだから、外への出口は閉ざされているべきではない。
入居者の中には、痴呆のために一人で外出されては困る人もいるが、一人で散歩に行ける人もいる。そういう面からも玄関は常に出入りできる状態になっている。 プライエムは、まさに、生活の場、個人の家だ。
各部屋のドアは鍵がかかるようになっており、郵便ポストがある。郵便配達人が毎日それぞれのポストに配達する。
なんと、プライエムの中の廊下は、市に登録された公道だ。
各部屋には電話があり、各自がちゃんと自分の住所と電話番号を持っており、それは電話番号簿に載せられている。日本の特養から考えると、信じられないことだろう。
入居者は、24時間誰かが絶えず自分の近くにいて、求めたときに助けてくれる、そういう環境の中での生活が必要になったからプライエムに入居してきたのであり、生活の質は低下させるべきではない。必要以上のことを奪ってはならないし、する必要もないのだと思う。 だから、私がいたプライエムでは、必要な時以外はバイタルを測ったりというきちんとした健康管理はしていない。プライエムは管理施設でなく、住居であるからだ。
人間は皆、最後まで人間らしい生活を維持する権利があるはずだ。 はたして日本ではどうだろうか。
日本ではよく、年をとったのだからしょうがない、生活の質が下がるのは当然だという。4〜6人一部屋の老人ホームでの生活。そこにはかつて愛用していた身の回り品はほとんどない。プライバシーもない。それは人間らしい生活だろうか。
デンマークのプライエムは、もちろん全室個室。シャワー・トイレ付き。私がいたところは、寝室と居間の2部屋に分かれていた。
デンマーク国内の全てがそうであるとは言えないが、ごく普通の公立の施設でそこまで整備されている。
その根底には、人間らしい生活の維持という考え方があるのだと思う。
各部屋にある家具は、その人の愛用品。壁には、絵や家族の写真が掛けられている。入居時には、壁の色、カーテンまで自分で決められる。車椅子での生活の人の部屋にもソファーやダイニングセットがある。使わない、必要の無い家具を置くことができる余裕に感動した。そこはまさに、一人の人間が生活するにふさわしい空間なのだ。
私はデンマークに行く前に高齢者施設でボランティアをしていたことがある。そのときの私の頭の中は「老人ホームとはこういうところである」という考えがすんなりと自然に入りこみ、悲しいことに何の矛盾も、疑問も感じなかった。
もしかしたら、私のような人が多いのではないだろうか。先入観、慣れとは怖いものだ。
デンマーク人に、日本の老人ホームの説明をすると、皆、口をそろえて「まるで病院のようだね」と言う。デンマークも日本も病院の病室は同じようだ。病院は一時的な施設で、生活の場ではないという考えからだ。日本のように病院とほとんど変わりない部屋の老人ホームは生活するにふさわしいところと言えるだろうか。
10時半頃になると職員は自分の仕事が一段落、食堂に行って一休みする人もいる。毎日10時半から11時頃、食堂に職員用のパンとコーヒー・紅茶等が用意される。職員はその日の気分や都合で時間をずらして休憩に行く。勤務開始が早いこともあり、この時間に軽く腹ごしらえできるのは、嬉しいようだ。
11時半頃から昼食の準備を始める。昼食も朝食と同様に、食堂、自分の部屋、サンルーム(痴呆老人のみ)で食べる。痴呆グループは、家庭的な落ち着いた雰囲気を保つ目的があるので、職員も入居者と一緒にサンルームで食事をする。職員は落ち着いて仕事をすることはできないが、介助するだけよりも入居者にとっては良いのではないかと思う。食事が終わると、12時半から2時頃までお昼寝タイム。その時間は、職員の打ち合わせ兼休憩時間だ。翌日の担当分担はこの時に決める。
1時までの職員もいるので、午後はやや職員が減る。2時頃、入居者を昼寝から起こすと、おやつの時間。コーヒー・紅茶にケーキやパン、もし誕生日の人がいれば、みんなにバースデーケーキが出る。おやつも部屋で食べる人と、サンルームで食べる人がいる。どこで食べるかは、入居者本人が決める。一人でのんびりと、あるいは、仲間とおしゃべりしながら、というように、個人個人が好きなように食事場所を選べるわけだ。また、もし訪問客があれば、食堂に注文し、いっしょに食事やお茶をすることができる。
食堂には小さな売店があり、外に買い物に行くことが困難な入居者のニーズに対応している。喫煙、飲酒は個人の自由で、認められているので、たばこや、ビール、ワインなどのアルコール類も売られている。部屋に飾る花も安い値段で売られている。売店で買う事ができないものは、コンタクトパーソンの職員が街まで買いに行く。
おやつをだいたい食べ終わった3時、準夜勤(夕勤)の職員が出勤してくる。申し送り事項は、用紙に随時記入して行くので、それを見れば分かるようになっているが、時間があるときは報告もしていた。
体力の低下している人は、他の人より長く昼寝をし、準夜勤者が来てから起こす。準夜勤者は全体で5人(日勤は11人)、私のいたグループには2人だった。
デンマークでは、日勤は日勤、準夜勤は準夜勤、夜勤は夜勤という雇用体制をとっている。施設によっては、日勤者の一部が月に1回、準夜勤をするようだが、その場合は日勤帯で担当していないところを担当するようだ。おそらく、入居者を混乱させないためだろう。
入居者の中には、「この職員がいる時には昼間、この人は夜」というふうに時を判断している人もいる。私が夜勤をやらせてもらった時、「もう、朝か」と驚いていた人がいた。
働いている人も、生活のペースがきちんとできて良いと言っていた。
しかし、毎日午後3時から11時という勤務時間はハードだ。そのためか、準夜勤者は、2週間サイクルで2日働いて2日休み、5日働いて5日休みという勤務体制を取っている。つまり、準夜勤者には2つのグループがあり、1つが月・火、もうひとつが水・木、そして金・土・日を交代で働くというふうになっている。
夕食は5時半頃、それまでの間はテレビを見たり、おしゃべりをしている人が多かった。職員は、おむつの補充をしたりするのをこの時間にやっていた。入居者への訪問時間は決まっていないので、訪問者は1日中あるが、この時間が一番多いように感じた。とくに、ご夫婦のどちらかが入居されている場合、毎日来て、いっしょに散歩に出掛ける姿に、ほのぼのとした。配偶者の訪問が一番うれしいことであるのは、間違いないだろう。
夕食もそれぞれの好きな場所で食べる。夕食時の食堂には、ビールなどで晩酌を楽しむお年寄りの姿を見る。ここでもプライエムに入居しても今までの生活を維持しつづけることができる事実を見ることができる。
夕食後テレビを見ながら一休みすると、7時頃から夜のコーヒータイムになる。クッキーやケーキ、そして夕食時に作っておいたチーズを載せたパンを食べる。デンマーク人は良く食べる。
8時頃から、そろそろ寝たいという人が出てくる。そういう人から歯を磨いて、パジャマに着替えさせて寝かせる。
私のいたグループの介肋を必要とする人の中での、最後の就寝は10時だった。サンルームにだれもいなくなると、軽く掃除して、申し送り事項の確認をし、早めにベッドに人った人の所に見回りに行く。そして当直室(ナースステーソョンのような所)に移り、夜勤者に申し送りをする。
夜勤者は全体で2人だが、12時迄は準夜勤者の1人が残っているので3人ということになる。
夜勤時の最初の見回りは12時で、2人が別々に回る。そっとドアを開け、ちゃんと寝ているかどうか見る。全員ではなく、本人が望まない場合はのぞかない。次の見回りは3時、この時は2人でー緒に回り、おむつ交換やトイレ誘導をする。自分で体位交換できない人のおむつ交換は力がいるということで、必ず2人で行う。
デンマークでは、職員が腰を痛めないように工夫、指導されている。全てのベッドが上下に動くのはもちろんのこと、リフトもかなり使われている。自分の足で体重を全く支えられない人はリフトを使う。半身麻痺などの人を移動介助する時の為に、全く腰に力を入れないでできる介助技術をまず教わる。職員たちは、無理をせず仕事しているわけだ。所長は「リフト1台買うのは大変なことだが、腰痛のために辞める職員が出ることに比べたら、リフトを購入したほうがよいと思った。」と話してくれた。リフトを使うことで、最初はコストがかかるが、長い目で見ると経済的であると考えている。そしてそれは、介護を受ける人、介護をする人、両者にとってよいことなのだ。リフトを使えるのは、各部屋個室で場所に余裕があるからだろう。リフトを使うときは、必ず2人でやるという決まりがある。きっと、より安全に行うためだろう。
3回目の見回りは、6時からだ。この時は、必要があればおむつを交換し、後はちゃんと寝ているか様子を見るだけだ。この3回の見回りで1度も職員が見に行かない入居者の部屋もある。入居者本人が夜の見回りを拒否して、入り口の戸の鍵を閉めている。もちろん職員はマスターキーをもっているが本人の許可なしに勝手に開け、中に入ることはできない。よく言えば、個人の意志が尊重されているわけだ。その代わり、個々の責任もしっかりしている。もし、ベッドから落ちたりして、それが朝まで発見されなくとも、それは見回りを拒否したその人個人の責任であるという考えだ。
プライエム(特別養護老人ホーム)での実習で多くのことを感じ、考えさせられ、学んだ。その中で私が強く考えさせられたのは、人間らしい生活をし続けるということだ。職員は入居者の自力では不可能な所を補う補助器具であるという姿勢だ。もし職員が、お世話してやっているんだぞと言う気持ちがあったらそれは成り立たないのではないだろうか。やはり職員は皆、心から自分の仕事を愛している。そんな環境で生活しているお年寄りたちは皆生き生きしていたように思える。
人間らしい生活をし続けるということは、デイセンターに来ているお年寄りについても同じだ。
デイセンターにも何種類かあるが、託老所という感じではなく、高齢者のカルチャーセンター的なものが多い。私が実習していたところは、プライエムに併設している所だが、毎日15名程度外部から通って来た。毎日の人もいれば、週1回のみの人もいたが週2〜3回というパターンが多かった。
朝9時半から10時の間に主に2台の乗合タクシー(写真)でやって来る。このタクシー会社は民間だが、市と契約を結んでいる。タクシーの運転手は毎日同じ2人で、利用者、職員ととても溶け込んでいる。利用者を連れて来た後、職員と共にコーヒーをー杯飲んでー休みして戻って行く。時には利用者の事について話し合ったりもする。まるでデイセンター職員の一員だ。
デイセンターの活動は、曜日によって多少違うが、毎日午前10時から通所利用者はリハビリや体操、プライエムからの参加者は作業、その後皆でコーヒータイム、音楽に合わせた体操をする。それで午前中のプログラムは終了。入居者は部屋に戻ったり、食堂に行く。食堂にいっぺんに入り切れないこともあり、通所利用者は散歩の時間。天気のよい日は外を、悪いときは施設内をそれぞれにあった距離を職員と共に散歩する。日頃必要以上に歩かないという利用者たちは、職員が同行してくれるので安心ということもあって、この時間を楽しみにしているようだ。
昼食後は、昼寝をする人は専用の部屋でお昼寝、しない人は作業の続きをする。作業は人により様々で、編み物、布製品の塗り絵などそれぞれが好きな事をやる。職員はその人に合った、その人が自分の能力を生かして楽しくできることを考え、探す。センターの物置の中には、いろいろな材料がしまってある。いろいろな面において能力が低下して行く高齢者は、あれもできない、これもできなくなったなどとマイナス面を考えがち。そんな高齢者が「自分にもできることがあるんだ」という自信を持てるようにするのがデイセンターの職員の大切な仕事なのだと思う。 クリスマスが近づくと、オープンハウスをし、デイセンターのお年寄りが作った作品を売る。だから、利用者たちもその準備で腕に力が入る。
昼寝の後は、プライエム同様午後のおやつタイム。そして、リハビリや作業を続ける。午前3時半から4時頃、朝と同じタクシーが来て、希望者は食堂で作った夕食用のオープンサンドのお弁当をもって帰宅して行く。職員は使ったコップなどを片付け、その日の簡単な反省会をして1日が終了する。職員の勤務時間は午前9時から午後5時、金曜日は午後2時迄で、土日は休み。
月・水曜日は主に半身マヒの人、火・木曜日は軽度の障害をもった人が通って来るので、そのための個別リハビリ、集団リハビリが午前、午後にある。同じ障害をもった人を集めることでお互いに励まし合えるし、また逆に自分のハンデを感じずに過ごせるのでよいと職員は言っていた。
集団リハビリでは、風船や柔らかいボールを使って遊ぶのだが、みんなとても楽しそうにやる。私は始め、風船遊びなんて子供騙しの様ではないかと思っていた。しかし、本当に心から楽しんで風船を打ち合う姿を見てその考えは変わった。風船は当たっても痛くないし、柔らかいので危険性がない、それに打った方向に打った強さで飛んで行かないというとても面白い遊具であるので、反射神経の訓練にもなり、リハビリにとても適しているのだと、リハビリ担当の職員は私に教えてくれた。楽しく行っていること、それがリハビリであるというのはとても良いことだと思う。
私がいたこのデイセンターには、主にリハビリを必要とする人が通って来ていたわけだが、元気なお年寄りが集まり、今までの長年の経験を生かして、女性は手芸、男性は木工などで売り物になるような物を作ったり、本の修理などする作業所がある。好きな時に来て、好きなだけ作業をすればいい。まさに余暇と、能力の活用の場。初心者が、ベテランに教わり挑戦して行き、新しい楽しみを見つけるということもあるようだ。これらの作業所は、ローカルセンター(高齢者センター)内にあることが多い。
高齢者センターの中には、顧問の職員がいるだけで実際には高齢者自身が企画連営していることろもある。退職後の新しい人生の楽しみ、生きがいを見つけるのにー役買っている。 各自治体には高齢者委員会というものがあり、高齢者自身が行政と話し合い、自分たちの意見をきちんと主張していく。この委員会の存在によって改善されていったこともあると聞いている。このような委員会は、プライエムでも入居者委員会としてきちんと存在し、生活して行く上での要望や不満などを入居者と職員の代表が定期的に話し合っている。デンマークの高齢者福祉は、このように高齢者自身で支えているともいえるだろう。
デイセンターに通って来るような在宅のお年寄りは、ホームヘルプによって支えられている。デンマークは施設から在宅福祉へと転換を図り、在宅に力を入れていると聞いていた。私自身、高齢者の在宅介護に最も関心があったので、ホームヘルパーとしての実習をさせてもらった。ホームヘルパーは市に採用されている。市内の数箇所にグループごとの詰め所があり、そこを拠点に活動している。私がお世話になったグループはヘルパーが12人おり、毎日10〜12人が働いていた。ホームヘルパーもコンタクトパーソン制を取っている。
ホームヘルプを受けている人の中には、起床、入浴、食事、就寝と、すべての面で介肋を受けている人もいれば、週に1回の掃除だけという人もおり、ヘルプの内容はその人のニーズに応じて様々だ。 しかし、いろいろな面において機能が低下、状況が変化して行く高齢者だ。ある男性は、1週間に1回の掃除と洗濯だけをへルパーが行っており、私もよくそこに同行していた。いつもはソファーに腰掛けて、私たちを待っていたのが、ベッドに寝ていることが多くなって来た。朝食も食べた形跡がなく、気力がない、それに気づいたへルパーは、訪問看護婦と相談して、彼の所に毎朝行き、朝食の準備をするようにした。定期的に訪問し、状況の変化に気づき、新たなへルプの必要性に気づいてあげる、それもヘルパーの仕事で大切なことであると、そのとき痛感した。
訪問看護婦の詰め所はへルパーとは別にあるが、連絡はとても密に取り合っている。看護婦は担当地区が決まっており、その地区の高齢者を訪問して、薬の仕分けや処置を行っている。それらは各家に置かれた連絡帳に記入し、ヘルパーにも分かるようになっている。ヘルパーの詰め所にも定期的に来て、相談に乗ったりもする。
ヘルパーの仕事の中で最も多いのは、掃除・洗濯・買い物、次に入浴(シャワー)介助、夕食用のオープンサンド作りだった。昼食は、温かい給食が届く。高齢者の在宅生活を支えているのは、基本的な家事援助と、給食サービスだと思う。
もちろんホームヘルブは24時間体制。わたしも準夜勤と夜勤に何日間か同行させてもらった。準夜勤者の主な仕事は、夕食介肋、就寝介肋だが、昼間ヘルパーが作っておいてくれた夕食のオープンサンドを冷蔵庫から出し用意するだけ、薬を飲ませる、目薬を差すだけのために訪問した家も多くあった。このようなー見小さなことに思える援助でその人の生活が支えられている。もしそれをしてくれる人がいなければその人は自分の家で生活し続けられないわけで、改めてホームヘルパーの存在の大切さを実感した。ヘルパーは1人ずつ車で回っているが、リフトを必要とするような人の介肋には、もうー人必ず応援に行く。
夜勤帯は、ヘルパーと訪問看護婦がー緒に3回見回りに行く。トイレ介助、おむつ交換が主だ。ほとんどの利用者が緊急呼び出し装置をもっており、トランシーバーを通じて、緊急時には呼び出せるようになっている。見回り予定時間より早くトイレに行きたくなった時も連絡がある。準夜勤、夜勤のヘルパーと訪問看護婦は、携帯電話を持っており、連絡が取り合えるようになっている。
各家は鍵を閉めているが、壁に穴を空けて作った鍵入れに鍵が入っている。へルパーたちはその鍵入れを開ける鍵を持っている。そのお陰で、ヘルパーたちはそれぞれの家の鍵を持ち歩く必要がない。このアイデアはとても良いと思った。もしヘルパーたちが鍵を持ち歩いていたら、その人が移動中や他の人のところを訪問している時に緊急事態が生じた場合、他のヘルパーが中に入ることができないという事態も起こり得る訳だ。もし決まった場所に隠しておくとしたら、外部の人にも知られる可能性がある訳で、不用心だ。そこで鍵付きの鍵入れはとてもよいと思う。
息子、娘と同居することがほとんどないデンマークであるから、1人又は老夫婦のみでも安心して生活できるように細かいホームヘルプ制度が整っている。高齢化社会で少子社会を向かえつつある日本もデンマークを見習って行く必要があると思う。核家族が多いこれからは、自分の住み慣れた家で生活し続けたいという高齢者が増えてくるのではないかと思う。しかし、高齢の親を1人にはしておけない、危ないと言って引き取ったり、施設に入所させたりしてしまうのが多いのが今の現実。
これからは高齢者の希望がかなえられる必要がある。だれでもかれでも子との同居を希望する訳ではないと思うし、子の方でもそれは同じだと思う。実際、高齢者施設に入所しているお年寄りから、「できれば自分の家で1人で暮らし続けたい」という希望を聞いたことがある。
また、高齢化社会に向けて、高齢者が楽しく、何の気兼ねもなく生活して行ける社会を作って行く必要があると思う。よくお年寄りは、年を取ったのだからしょうがないと言う。その考えは間違っていると思う。年を取ったって、木来なら今までと同様の生活を求めていいはずだ。
これからは、高齢者自身も積極的に意見、要望を出し、自分たちの生活しやすい環境を自ら作って行く、そんな世の中になるよう願っている。デンマークでの学びを通してそう実感した。安心して年を取れる社会になって行くように、1人1人が努力して行かなければならないと思う。
デンマークの専門学校に入学することが、デンマークに渡った時の私の目標だった。
日本の介護福祉士に該当する社会保健ヘルパーの教育は1年間、そのうちの3分の2は実習と いうこの学校でどんな教育が行われているのか知りたいと思った。しかし、この 学校は、学生が自治体から給料をもらいながら通うというシステムをとっており、 外国人が通うことはシステム上無理である。実は、外国人でも入学できた時期もあり、 日本人の第一号になった方は、その後デンマーク人と結婚し、デンマークで活躍 されている。私がデンマークに渡った当初は、可能性があると聞いていた。しかし、 無理だと言われた時は、なんのためにデンマークに来たのだろう、なんのために デンマーク語を勉強しているのだろうと、目の前が真っ暗になった。しかし、千葉氏の 計らいで、約一年の実習ができたことを感謝している。
実習中はとても楽しかった。職員も、お年寄りも、皆私のことを大切にしてくれた。 語学もままならない日本の女の子(当時は20歳だった)を受け入れ、さまざまな体験を させてくれた職員の心の広さに感動する。
今日本で働いていると、外国人実習生を受け入れられる施設は少ないのではないかと思う。 それだけ、デンマークは職員に余裕がある証拠だろう。
日本では、本当に、職員に余裕がない。デンマークのプライエムは、なんて余裕をもって 職員が仕事をしていたのだろうとしみじみ思うこの頃である。日本ももっと職員の数を 増やせば、ゆとりある良い介護ができるのではないだろうか。日本の介護職員は、私を含め、 時間、業務に追われ、機械的に動いているように思う。ゆっくりと入居者と話をする時間がない。 それではいけないと分かりつつ、そうせざるを得ない自分と日々戦っている人も多い。私は、 職員数の基準が改正されれば、なにか変わるのではないかと思っている。
日本に比べれば、何倍もゆとりをもって、入居者、利用者との時間を大切に過ごしている デンマークであるが、デンマークのお年寄りは、「もっと私たちの話を聞いてほしい」と 新聞等を通して訴えている。満足のいく介護はなされていないと言えるのかもしれない。
私は、決してデンマークがすべてにおいて日本より優れているとは思わない。しかし、学ぶべき ことは多いと思う。「国民性が違うから」「国の規模が違うから」と言って、「日本には合わない」 「日本ではできない」と片づけるのではなく、素直な気持ちで他国の実態を参考にして、日本の ためにはどうしたらよいのか考えるべきだろう。今はピンピンしている働き盛りの中年の方も、 若者も、誰でもいずれは年を取り、自分の思い通りにならなくなるときがくるのだから、自分自身の こととして考えなくてはならないはずである。
偉そうに、いろいろ書いてきた私だが、デンマークでの学びを仕事の上でどのように生かしていけば 良いのか、わからないでいる。
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