Io
娘との時間


井上祐子

 娘は今6歳。彼女の3人の兄は自分の服装に無頓着だったので、ある日(たしか娘が3歳の頃)いつものように何気なく私がタンスから出した服を「私この服着たくない」と拒まれた時には、とても驚きました。その日以来毎朝、どの服を着るかが彼女にとっての関心事になっています。色々引っ張り出しては、アーでもない、コーでもないと、それはそれは長い時間かけてようやく決まります。そんな彼女を横目で見ながら「はやく着ないと風邪をひくのに」とか「この散らばった服は、とにかく誰かが片付ける羽目になるのだ」はたまた「ああ、なんて私好みじゃない服の組み合わせをするんだろう」などなど・・・私の頭の中には、また私なりに様々な事柄が浮かんでいます。

 でも「あれこれ引っ張り出さずに、さっさとこの服に決めて着替えてしまいなさい」そう言って彼女に押しつけてしまうと、実は私自身の中になんとも言えない嫌な気持ちが残るのです。



 もし私がこれから服を選んで着ようとしている時に、横でいちいちつべこべ言われたらどうでしょう。「好きな服だって、今日は着たくないと思う日もあるわよ」「なかなかいい組み合わせだと思っているのに、世界中の人がひどい趣味だと思うに決まっているかのようにけなすなんてひどい」「服を片づける話は、どの服を着るかとは別の問題。一緒にしないで」と、きっととても腹が立つし、悲しくなるに違いないと思うのです。

 私が感じる嫌な気持ちは、自分がされたら嫌だと思うことを、人に対してしていることへの嫌悪感なのでしょう。



 そして今、私と娘はどうしているかというと、対話を交わしています。「こんな服はどう?」「私はそれ着たくないの」「今日は寒いから、私は長袖にしたのよ」「お母さんは寒がりだからよ」そして彼女の服装は最終的に彼女が決める。やはり寒い、やはり暑いと思えば、服装を変えることも彼女が決める。この前風邪ひいちゃったから今日はもう一枚着ることにしよう、そんなこともすべて、自分がどの服を着たいかということに思いをはせることから、自分で考えていくようになるようです。風邪をひいたり、大汗でグジュグジュになりながら。

 私がどうしたいかといえば、彼女が自分で学ぶことのじゃまをしない、そのための時間を奪わないということでしょうか。

 この毎朝の貴重な対話の時間を楽しもうと思っています。


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