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いわき市「いじめ」自殺事件判決について
いわき市「いじめ」自殺事件判決について
「せめて登校拒否をすることさえできなかったのか」
(文中の名前はすべて裁判所による仮名です)1985年9月25日、福島県いわき市で、市立小川中学3年生の甲野二郎君が、首吊り自殺をしました。
その遺族(両親・祖母・兄弟姉妹)は、二郎君の自殺は、同級生である乙山春夫君達からの暴力や、金銭支払いを強要されるなどの継続的な「いじめ」を苦にしたものであるとし、学校側が、二郎君の心身の安全を守る義務があったにもかかわらず、その義務を怠り、いじめを見過ごし、放置したため、春夫君達が悪質、重大ないじめを続け、二郎君を自殺に追いやったと主張し、学校設置者であるいわき市を被告として、損害賠償計約8300万円を請求しました(この時、春夫君の両親とは500万円ですでに和解が成立済み)。1990年12月26日、福島地裁いわき支部の判決は、(1)二郎君の自殺の主な原因は春夫君達によるきわめて悪質ないじめである、と認め、(2)学校側の対応に過失があった、と指摘し、(3)学校側の安全保持義務違反の有無を判断するためには、このいじめが二郎君の心身に重大な危害が及ぶような悪質重大なものであるとの認識ができれば十分で、二郎君の自殺を予見できたかどうかを問う必要はない、としたうえで、(4)二郎君の家庭のありかたや、学校を欠席することを許さない家族の対応にも問題があった(三割の責任)、自殺という最悪の手段を選んだ二郎君自身にも責任があった(四割の責任)と、過失相殺を適用し、請求額の三割を遺族に支払うよう、いわき市に命じました。
この判決は、当時「『いじめで自殺』学校に責任」などの見出しで、新聞報道などマスコミに大きく取り上げられたものだそうです。いじめが悪質重大であることさえ認識できれば、学校の安全保持義務違反を問うことができる、としたところに一般的な意義があるということです。
これを、「不登校」を考える立場からいえば、「登校拒否」をせずに自殺を選んだ本人の行動と「登校拒否」を許さない家族の態度が問題である、とされた判決、という点でも、意味を持つ判決であるとも言えます。
どう見るにしても、資料として知っておく価値のあるものですので、ここで、判決のおおよそを紹介したいと思います。
二郎君と春夫君は1年生からずっと同級でした。1年生のときから、春夫君は二郎君を子分のように扱い、二郎君が言うことを聞かないときには、暴力をふるいました。金銭強要も既に始まっていましたが、2年生になると、額がより大きくなりました。学校側が初めてそれを知ったのは、2年生の5月19日。借りた金と利息を返せないため、春夫君の暴力を恐れ、同じくいじめられていた夏夫君とともに学校を抜け出した二郎君が警察に保護された時です。二郎君は、2年生の10月初めまでに数回、春夫君の金銭強要や暴力を教師に訴えたのですが、教師達の対応が、春夫君を呼んであやまらせる、といった表面的なものにとどまったため、かえって酷い暴力を受けることとなり、その後は暴行や金銭強要を受けたことを一切話さなくなりました。
・事件のあらまし
三年になって担任が変わり、始めのうちは担任の大河原教諭に打ち明けていたのですが、やはり暴力がエスカレートするばかりだったため、大河原教諭にも何も話さなくなりました。 同級生達も、教師達に春夫君の二郎君に対する暴行などを告げても仕方がないと感じ、また、春夫君の暴力が自分に及ぶことを恐れ、教師にその事実を告げることはほとんどありませんでした。その暴行は、殴る、蹴るのほか、他の生徒や教師の前で 顔に マジックインキでいたずら書きする、理科室で掃除をしている時に、水酸化ナトリウムの水溶液を襟元から流し込み、やけどを負わせる、雑草を無理やり飲み込ませる、車上狙いを強要する、など、残酷、悪質なものでした。二郎君は、強要された金銭を払うために、初め給食費などを使い込みました。これがわかったため、2年生10月以後は祖母のハナさんが直接学校へ学校納入金を持ってくることになりました。
3年生の5月24日、春夫君に要求された金額を集められなかった二郎君は、「医者に行く」と言って、学校を早退します。担任からそのことを聞いた祖母は、自分の書いた手紙を持たないときは早退させないで欲しい、と頼みます。その後2、3回、早退したり、欠席したりしますが、その都度教師に強く注意されています。9月21日、生徒会選挙演説会のとき、二郎君は2年生の教室に入り、他生徒のバッグから飴玉2個をとり、さらに現金を物色中、生徒指導主事の香野教諭に見つかります。二郎君は、香野教諭に、19日にも盗みをしたこと、春夫君らから弁当を買うよう命じられてお金を預かっていること、さらに春夫君から金銭強要を受けていること、それが盗みの原因であることなど話します。香野教諭は「先生から春夫をよく指導しておくから心配するな。」と言います。しかし、香野教諭は、担任の大河原教諭や草野校長には二郎君が盗みをしたということのみを伝え(盗みの被害者にあたって金額の確認をし、その額は報告)、春夫君からの金銭強要については告げませんでした。担任と校長は香野教諭とともに、二郎君に二度と盗みをしないよう叱り、さらに担任は二郎君の自宅に連絡すると告げ、二郎君を帰しました。 香野教諭はこのあと春夫君らを呼び、二郎君に預けた金を返金したのち、「どうして1万円持って来い、集めろと言ったの」と尋ね、「冗談で言った」と弁解されると、「冗談でも言ってよいことと悪いことがある、今後このようなことを絶対しないように」と指導し、春夫君を帰しました。
この日の夕方、やはりいじめられていた同級生の冬夫君が二郎君に電話し、「春夫君が今日香野先生に注意されたのは二郎君が告げ口したからだといって、自分を連れて二郎君を探しまわったけれど、見つけられなかったので、腹を立てて『火曜日(連休明けの9月24日)出てきたらヤキを入れてやる』と言っていた」と伝えています。また、23日夜、担任が二郎君宅に電話し、翌24日朝に学校に来るよう、母親に連絡しています。
9月24日朝、二郎君は学校の門前で同級生に「医者に行くから先生に言って」と伝言を頼んで姿を消したまま登校しませんでした。また、その夜は帰宅せず、25日午後4時50分頃友人の夏夫君宅に現れます。二郎君は持っていた腕時計とその保証書を夏夫君に預け、「この時計は母ちゃんに黙って買ったから預かってて」と頼み、さらに「母ちゃんに怒られたとき見せて、これで自殺するつもりだったんだと言うんだ」と言って果物ナイフを借りました。が、それから帰宅しないまま、その日の午後7時頃、農具小屋で首吊り自殺をしたのでした。
・裁判官の判断 (一部抜粋・編集しました。見出し・太字は筆者によるものです)二郎と春夫の関係は、仲良しグループであるとか、立場の互換性があるとかいうことでは決してなく、すでに1年生時に形成された支配と被支配の関係がますます強められ、完全に固定化していたことが明白である。
1.自殺の原因はいじめ
そのような関係の中で、二郎は春夫から暴力や金銭強要その他を受け続けていたものであって、これはまさに近時大きな社会問題化しているいわゆる「いじめ」そのものにほかならず、それも極めて程度の重い悪質なものであったといわなければならない。二郎は、教師や家人にいじめの事実を訴えたり、自ら春夫の支配から離脱したいとの姿勢を示すこともあったが、その都度いっそう激しい暴行を加えられた。また、二郎の家族は二郎が学校を欠席することを許さなかったために、二郎は学校を欠席することさえできず、わずかに、休み時間等にはせめて職員室周辺にいるとか、場合によっては早退することによって、一時的に春夫のいじめから逃避するという手段が残されているだけであった。 このように、二郎は、逃げ場もないままに、苛烈で執拗ないじめにさらされつづけてきた。(ここで、21日から23日までのできごとを述べた後)、二郎の自殺の主たる原因は春夫のいじめである。
いじめについての学校側の安全保持義務は、既に一定の事実が把握されており、その事実だけからしても重大かつ深刻ないじめの存在が確認されるという時のほか、生徒やその家族からの具体的な事実の申告に基づく真剣な訴えがあったときには、いじめの特質に思いを致して決してこれを軽視することなく、適切な対処をしなければならない。
2.学校の対応に問題
(ところが小川中では)学校側がいじめの全体像を把握する努力をしないまま、表面化した問題行動について形式的で、その場限りの一時的な注意指導を繰り返したのみで、しかも加害生徒である春夫に対して及び腰であったことから、このような学校側の対応が春夫をさらに増長させ、その後も二郎に対する悪質ないじめを継続することにつながったものといわざるをえない。
加えて、二郎の自殺直前に発生した教室荒らしに対する学校側の態度はいかにも問題である。二郎は、既にその以前から、教師の指導が春夫のいじめを制止する力を有しないばかりか、却って教師に訴えたことによって一層激しい暴行を加えられるということを身をもって知り尽くしていたために、教師に対して頑なにに沈黙を守るか、或いは、また、積極的に否定するという態度に徹していたのであったが、このときは、教室荒らしという重大な非行を香野教諭に現認されて、いわば進退谷まっていたからであろう、その以前にも同様の非行を繰り返していたことを告白すると共に、それが春夫の金銭強要に端を発していることをも告げたのである。
しかるに、同教諭は、二郎に対して(1)二郎が春夫から要求されていた金銭を実際に春夫に交付したのか否かという重要な事実を確認することを怠り、(2)二郎の告白の矛盾ないし明らかな疑問点を解明するのを怠ったうえ、(3)春夫に対して、二郎に19、20日の二回にわたって暴行を加えたことが事実か否かを確認せず、(4)大河原教諭や草野校長に対しても、二郎が教室荒らしの動機として述べた春夫の金銭強要という重大な事実を告げなかったことが明白である(当裁判所としては、いじめが小川中に存在することが明らかになるのを恐れるような気持ちが(生徒指導主事の)同教諭にあったのではないかという疑問さえ完全には払拭しがたいほどである)。
このような学校側の対応は、客観的には、いわば二郎の必死の訴えを踏みにじるようなものであったといわざるをえず、当然の事ながら、二郎にもそのようなものとしてうつったであろうことは疑いをいれないところである。
以上、学校側に春夫の二郎に対するいじめに対処するうえで過失があったことは否定しがたいものといわなければならない。また、学校側の過失と二郎の自殺との間に相当因果関係があるものということができる。
学校側が自殺を予見することができたかどうかについては、通常、いじめを受けて自殺を考える程度に苦悩しているというのであれば、その前兆として、教師に対する必死の訴えがあり、それ以上に家人に対する悲痛な叫びのようなものがあるはずであり、また何はともあれ顕著な登校拒否症状が生ずるであろうと考えられる。ところが、二郎の場合には、家人に対してさえも深刻な苦悩の様を明らかにしたということはなく、またそれ程目立った不登校もないのである(二郎君の1年生時の欠席日数は4日、2年生時の欠席日数は17日、遅刻1回、早退6回、3年生時は、自殺までの半年に欠席5日、遅刻1回、早退5回)。
3.自殺は予見できなかった
このように、二郎に予て自殺の兆しがあったというまでの事実はおよそ認められない以上、学校側において二郎が自殺することを予見すべきであったと言うことはできない。
しかし、そもそも学校側の安全保持義務違反の有無を判断するに際しては、悪質かつ重大ないじめはそれ自体で必然的に被害生徒の心身に重大な被害をもたらし続けるものであるから、本件いじめが二郎の心身に重大な危害を及ぼすような悪質重大ないじめであることの認識が可能であれば足り、必ずしも二郎が自殺することまでの予見可能性があったことを要しないものと解するのが相当である。
二郎の父母は、保護者としての自覚に乏しく、そもそも監護の意欲も能力も高いとはいえなかったことが窺われる。
4.家庭にも問題がある 一方、二郎に対する指導監護の中心であった祖母ハナは、学校を訪れ、度々電話連絡をし、担任教師の家庭訪問の都度にこれに応接し、二郎へのいじめについても時々善処方を頼むなど、二郎の指導にも熱意と関心を有していたが、何分にも高齢であって、しかも二郎とは違って強い性格の持ち主であるところから、二郎の心情や苦悩を分かってやることができなかったということを指摘しないわけにはいかない。祖母の指導の重点は、あくまで二郎を学校に行かせることにあり、したがって、二郎が学校に行くのを嫌がっていることを感じ取れたにもかかわらず、その原因を思いやることをせずにひたすら出席させ、給食費などの学校に納入すべきものとして二郎に持たせた金員を二郎が使い込んだことが判明すると祖母が直接持参して納入することとし、二郎が嘘をついて早退したことが分かると祖母の手紙がなければ早退させないように担任教師に連絡するというように、二郎がなぜ右のような行動に出たのかというその動機や背景事情、とりわけ二郎の心情などに思いを致すことなく、いかにも機械的で形式的な対策を講じたにとどまったのである。このような対応は、祖母の熱意とは裏腹に、ただ二郎の逃げ道を狭める結果となり、二郎をますます窮地に追い込むこととなったものといわざるをえない。
二郎の兄一郎は、兄として二郎のことを真に思いやり心配していたこと、その行動が一定の成果を生んだことがあることも認められるけれども、何分にも若年であるうえに、一郎自身はいかにもきびきびした青年であって、自分とは対照的なまでに弱い性格の持ち主である二郎の心情を二郎の立場に立って理解してやると言った姿勢に欠け、ひたすら、「しっかりしろ」などと叱咤するばかりであり、そのために二郎を恐れさせていた面があることは否めない。
二郎の家庭状況が以上のようなものであったところから、二郎にとって家庭は学校生活の実情について話しやすい雰囲気を持ちえず、そのためもあって、二郎は春夫のいじめについて家族に進んで話すことがなかったものと思われる。
次に、二郎自身の問題点を看過することができない。
5.せめて登校拒否さえできなかったのか
既にみたとおり、二郎のおとなしく内気で、意志が弱いなどといった性格が春夫につけこまれてそのいじめの対象とされつづけた末、遂に二郎の自殺という悲惨な結果にまでつながったわけであるが、その間にどこかでこれから脱却する手段をとりうる余地がなかったのかという疑問はやはり拭いきれない。
春夫の暴力に敢然と立ち向かい、或いは金銭強要を拒絶するというような正面きっての抵抗を二郎に期待するのは無理であろうし、そもそもそれができるようであれば最初からいじめの対象とされることがないという筋合いのものである。しかし、(1)担任や家族らに対し一部始終を打ち明けて救けを求めたり、(2)せめて登校拒否をするというようなことさえできなかったのかということはいってもよさそうである。もっとも、二郎にしてみれば、(1)は早くから試みたのであるけれども、その結果は春夫の一層激しい暴力を受けただけであり、(2)は原告ハナに登校を強制されてできなかったということなのかもしれない。しかし、(2)については、春夫のいじめの苛烈さを考えれば、それにもまして抗しえないものであったというようなことは到底考えられず、(1)と併せて「このようにひどいいじめを受けているから学校へ行きたくないのだ。」と訴える位のことは期待してもよいように思われる。更に、損害の公平な分担という理念からすれば、二郎にとってはやむにやまれぬことであったとはいえ、少なくとも周囲の者にしてみれば突然に、自殺という最悪の解決方法を選択してしまったこと自体について、二郎が一定の責任を負うべきこととされるのはやむをえないところである。
以上検討したところをまとめれば、当裁判所は、過失相殺ないしはその類推過用の考え方によって、二郎が右2のようにして自殺したということ自体について四割強程度の責任分担をなさしめるべく、また、前記1でみた二郎の家族らの責任にも考慮すれば、原告らに生じた損害のうち、七割までは原告側の負担とし、被告については三割の限度で責任を負わしめるべきこととするのが相当であるものと考える。 (判例時報1372号 27頁〜43頁; 福島地裁いわき支部昭61(ヮ)138号、平2.12.16判決より)
6.本人に4割の責任 * * *
ここまで追い詰められ、逃げ場のないまま自殺を選んだ二郎君に4割の責任、という結論には、
やりきれない思いがします。 「登校拒否」をしなかった(させてもらえなかった)ために、周囲に
苦悩を十分訴えなかったと判断されてしまうのは、あまりに気の毒です。ことに、1985年当時の
「登校拒否」に対する社会の認識を思うと・・・
が、本人にとって苦痛の場でしかない学校を休むことを認めないのは、家族が果たすべき責任を
果たしていないことになる、という見方を裁判所が示したことは、かなり重要なのではないでしょうか。
これは、いやがる子どもを無理やり学校へ行かせている人たちへの、警告ともとれるのでは?
もし、そんな人が周りにいたら、教えてあげてください。
「こういうとき、『不登校』させるのは親の義務ですよ」って。(いとう みよし)
ホームシューレ発行の『メッセージ』1998年9月号に掲載された原稿を、一部修正したものです。