Io - 子どもの権利条約によせて

子どもの権利条約によせて
映画『ガイアシンフォニーⅢ』にみたこと

井上ひろこ

なぜ今、『子どもの権利条約』なのか

　今、なぜ『子どもの権利条約』なのでしょうか。違うもの同士が共存しあっていくというとき、実は違う存在として一番視野に入りにくかったのが、子ども、だったのかもしれません。それも自分に近ければ近いほど。例えば親子のように。
　４人の子どもを育てていく中で、それぞれが自分の目でものを見、感じ、色々な形で自分を主張する様を目の当たりにしてきました。同じ親から生まれ、同じような環境の中で育っていても、魂は全く独立していて、そこには侵しがたいものを感じます。そんな彼らと付き合ううちに、私はあらためてアイデンティティ・自分が自分であること、とは何なのか、どう意味を持つのかを問わざるを得なくなりました。あらゆる存在がアイデンティティを持つ。それ以前に、存在＝アイデンティティ、だということに今更ながら気づきました。私は自分と遠い（と思っていた）存在については、知覚していた違いの部分にだけ焦点を合わせ、その存在を認識していたこと。近い（と思っていた）存在のことはそれまで認識していたかといえばそうではなく、同一視していたに過ぎなかったことに気づきました。
　ちょうどそんな時期に『子どもの権利条約』と出会ったことは、私にとっての必然だったのでしょう。子どもの権利とは、人間の権利に他なりません。目に入りやすい『違い』から始まり、『違い』とは何かが人々の中で深められ、そして今までは当然のことのように視野の外に置かれていた『子ども』についても語られるようになってきたのではないでしょうか。今、『子どもの権利条約』として語られているのは、今まで見えなかった存在としての子どもが、人々の意識が変わると共に目に見える存在となってきたから。そして、語られている内容は、子どもに焦点が当てられてはいるものの、決してそれにとどまる事柄ではありません。

インクルージョンという言葉の意味

　国連子どもの権利委員会から日本政府にあてた『最終所見』というものの中では、障害児に関する個所に『インクルージョン』（inclusion）という言葉が使われています（第２０項・第４１項）。これまで取られてきた統合教育（integuration）という考え方の中にあった、障害は克服していくもの、乗り越えていくものという捉え方から、そうではなくて、障害を持った子どもに対する周りの見方を変えていく、人々の態度を変える。そうした社会への変化を進めていく、というものです。実は『子どもの権利条約』で述べられている、全ての事柄の底に流れる一つの大きな流れが、この『インクルージョン』だと思うのです。子どもとして過ごす時間は、大人になっていく為に幾多の課題をこなしていくためのものでない。その一瞬一瞬は、自分が主役の人生というカンバスに自由に絵を描いていくかけがえのない時間。一つとして同じ絵はありません。それらの絵をひとつところに並べ立て、コレは小さすぎる、コレははみ出ている、もっと明るい色合いでなくては・・・と批評家の目で眺めるのではなく、その絵をじっと見つめ、その語る事柄に耳を傾けようとすること。私達が新たに進むべき『インクルージョン』という方向、その手掛かりの一つを映画『ガイアシンフォニーⅢ』の中に見ることが出来たような気がするのです。

映画監督・龍村仁と星野道夫

　映画『地球交響曲第三番・ガイアシンフォニーⅢ』は始め、監督である龍村仁さんが、動物写真家の故星野道夫さんと共に、アラスカ在住であった星野さんの友人を取材し、フィルムを作っていく予定だったものです。ところが星野道夫さんは、１９９６年にロシアのカムチャツカで取材中ヒグマに襲われて死亡。その取材を終えたら映画の製作に入る予定でいた龍村監督と星野さんは、星野さんがカムチャツカに出発する前夜にも、空港のホテルで打合せをしていました。星野さん死亡の知らせに、いったんはこの映画製作を打ち切ろうと思った龍村監督は何かに突き動かされるような想いで映画の製作を開始したそうです。星野さんが残していった名前のリストを追って、龍村監督にとって、どんな人物か全く判らない人々との出会いが始まるのです。そこには何の演出もなければ、龍村監督の製作意図といったものもありませんでした。星野道夫という一人の人物を介して交錯する人々の、在りのままの姿がそこには描き出されていました。

映画の中に見たもの

　映像の中で、私達も龍村監督と同時に、色々な人々との出会いを経験していきます。国籍も、人種も、経歴も違う様々な人々との出会いでした。なんて暖かいのだろうと感じられる人達でした。とても安定していて、何よりも、きっと自分自身をかけがえのない存在だと知っている人達なのだろうと感じました。この映画では、アラスカとハワイ、それぞれの先住民族の血を受け継ぐ人々も出てきます。彼らは長い間新しく入ってきた西洋文明から見て遅れたもの、劣った文明を持つ存在とされてきました。そのことが彼らの自信を奪い、在りのままの存在としての自分を受け入れることを拒ませてきました。そして歴史は、正義の名のもとにベトナムという戦場、不毛の地へと彼らを駆り立てていきました。戦場へ赴くことの中に自らの存在意義を見出そうとするかのように、多くの若者が闇雲に突っ走り、傷つき、疲れ果て、そして心を病んでいきました。どこにも自らの存在価値を見出せず、中にはドラッグを常用し、体を蝕まれていく若者も少なくなかったそうです。しかし今、自分たちの先祖から受け継いできた文化に目を向け、それをもう一度復活させようという動きが、同時多発的に起きつつあります。そのことは、人々が自分自身の存在に対して、自身と誇りを再び持つことに繋がってきています。
　彼らの伝えてきた文化とは、人間も大いなる自然の一部であるというもの。だから活きるために自然から得たものは、全て元に帰す。そこには土地の所有権という概念すら存在していませんでした。ハワイアンの一人で、先祖の航海術を復活させ、羅針盤さえ持たずに太平洋を有機素材だけで作られた船で行き来をするナイノア・トンプソン。はるかな昔、彼らの先祖は５千キロの海を渡り、タヒチからやって来たというのです。しかし長い間、これはただの伝説に過ぎず事実ではないとされてきました。有機素材だけで作られてきた彼らの分化遺産は、ハワイの気候条件の中で残すところなく皆土に帰っていたからです。「その船を作るための大木は、流れ着く」という先祖からの伝承に、彼はハワイ島を巡る海流から大木の流れ来る先を割り出し、はるばるアラスカへと木を求めに行くのです。荘厳ささえ感じさせる一本の大木を、彼に提供しようとするアラスカの人々がナイノアに告げた言葉は「決してこの木の代価を尋ねたりしないでください。我々は貴方に我々の命の一部を差し上げるのですから。」だったそうです。

『ガイア』の一存在としての人間

　映画のタイトルにある『ガイア』とは『地球』のことです。地球という星の上では、私達の感覚の中にある時間とは別の、想像すらできない流れとしての時が経過していき、その中で数え切れない生命が生まれ、滅び、そして今に繋がっています。人間が理解している事柄なんて、いったいどれほどのことなのでしょう。今、この一瞬に限ってみても、どんなに多種多様な存在がこの地球上に在るのでしょうか。ただ一つ確かなことは、人には知覚出来なくとも、それらは『在った』し『在る』ということだけなのかもしれません。そして『地球・ガイア』はこれまでも、そしてこれからも、多様な存在を受け入れながら自らも存在し続けるのでしょう。
　しかしここに来て、私たち人類の存在は『地球』の存在自体を脅かすものとなってきているのかもしれません。その所有する核兵器の数は『地球』を破壊してなお余りあるといわれています。その造り出した物質は、自然界のサイクルを既に壊し始めています。科学技術への過信。これが人類の『進歩・発展』なのだと、人々が思い描いていた道筋を追求するため、必要とされてきた効率主義、そのための競争。そんな中で、人間自身がすでに傷つき始めているように思えてなりません。自分の内側からではなく、外側から常になにか目標を掲げられ、そこに限りなく近づかねばならないという強迫観念にも似た想いの中で日々が過ぎていく。それは、今のままでは行けない、こんな自分では行けないという自己に対する否定の気持ちに容易に繋がっていくことでしょう。自分の存在を受け入れられなくなることは、さらに容易に他者の存在の否定へと繋がっていくことでしょう。在りのままの自分を受け入れられないことこそ、すでに人間が『地球』上での一存在としての地位を失いかけている要因なのかもしれません。

人間の尊厳

　環境問題が叫ばれ、平和について語られ、差別問題も語られるようになりました。これらはそれぞれ別個のものではなく、普遍的なものを含んでいます。それは一言で言えば人間の尊厳です。私たちの文化や文明とは何なのか、進歩と思われてきたことは何だったのか。その中で何を失っていったのか。これからどのように変化したいのか、何を大切にしていきたいのか。空気・水・木や草花・青空・夜空の星。暖かさ・寒さ・怖さ・悲しさ・楽しさ・嬉しさ、そして自分の心。どうぞ自分に問うてみてください。あなたの大事にしたいものは何ですか？　あなたのやりたいことは何ですか？　色々な想いをすべて丸ごとひっくるめたあなた自身が、そのままでかけがえのない存在なのだということ。それが人間の尊厳ということではないでしょうか。

再び『インクルージョン』とは

　一人一人目に見える部分、見えない部分、どこを取り上げてみても、一つとして自分と同じ人間はいないのです。それが自分自身であるということです。在るがままの存在としてお互いを認め合っていくこと。それは、障害を持った人が人一倍努力をして、そこで始めてその存在を認められる、ということとは違うでしょう。学校の成績の良し悪しが、人格の優劣とみなされるということとも違うでしょう。ただ単に何が好きで、何が嫌いかという問題を、良いか悪いか評価の対象にすりかえてしか捉えられないということとも違うはずです。在りのままで受け入れ合うこと、これは、数知れない多様な生き物が共存しあっている星『地球』そのものの在り方と重なるように思えてなりません。この在り方がつまり『インクルージョン』なのだと思います。

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